労働問題

経済産業省トイレ利用制限事件【最高裁重要判例解説】

2023(令和5)年6月23日、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(LGBT理解増進法)が公布・施行されました。
同法1条には、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性を受け入れる精神を涵養し、もって性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に寛容な社会の実現に資すること」が目的として掲げられています。
そもそも日本では、性的指向やジェンダーアイデンティティ(SOGI)について、いまだに十分な理解が図られておらず、いまだに偏見や差別が続いています。

性はグラデーションです。単純に男性/女性、L・G・B・T・Qなどといった用語の概念にとらわれることなく、個々人が「人」として尊重される社会が形成されていくように努力していかなければなりません。
今回は、性の多様性と今後の課題を考えるにあたり重要な最高裁判例を取り上げます。

経済産業省トイレ利用制限事件(最高裁令和5.7.11判決)

事案の概要

原告Aさん

Aさんは、生物学的な性別は男性ですが、平成10年頃からホルモン注射の投与を受けるようになり、平成11年頃には性同一性障害である旨の医師の診断を受けて、平成20年頃からは女性として私生活を送っていました。
平成22年頃3月頃までには、Aさんの血液中の男性ホルモン量は同年代の男性の基準値の下限を大きく下回り、性衝動に基づく性暴力の可能性が低いと判断される旨の医師の診断も受けていました。
他方で、Aさんは健康上の理由から性別適合手術は受けていませんでした。

Aさん
Aさん

女性として社会生活を送っています

トイレ使用に関する要望

Aさんは、平成21年7月、勤務先である経済産業省B部署の上司に対して性同一性障害であることを伝え、同年10月には、女性の服装での勤務や女性トイレの使用等について要望を伝えました。

経済産業省による処遇

B部署は平成22年7月、Aさんの了承を得て説明会を実施し、Aさんの女性トイレの使用について意見を求めたところ、複数の女性職員が「その態度から違和感を抱いているように見えた」ほか、女性職員のうち1名が執務階の1つ上の階のトイレを日常的に使用している旨を述べていました。
そこで、同省はAさんに対し、執務階とその上下階の女性トイレの使用を認めず、それ以外の女性トイレの使用を認める旨の処遇を実施しました。

本件の説明会後、Aさんは女性の服装で勤務を開始し、執務室があるフロアの2階離れた階の女性トイレを使用していましたが、他の職員との間のトラブルがありませんでした。

訴えの提起

平成25年12月、Aさんは、人事院に対して、職場の女性トイレを自由に使用させることを含む行政上の措置を要求しましたが、平成27年5月29日、この要求は認められない旨の判定がなされました(本件判定)。
そこで、Aさんが、本件判定の取消しを求める訴えを提起したという事案です。

争点

本件の争点は、本件判定が裁量権の範囲を逸脱又は濫用したものとして違法になるか否かです。

原審の判断

高等裁判所は、経済産業省において、本件処遇を実施し、それを維持していたことは、Aさんを含む全職員にとっての適切な職場環境を構築する責任を果たすための対応であったというべきであるから、本件判定部分は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとはいえず、違法であるということはできないと判断しました。

本判決の要旨

判断枠組み

国家公務員法86条の規定による行政措置の要求に対する人事院の判定においては、広範にわたる職員の勤務条件について、一般国民及び関係者の公平並びに職員の能率の発揮及び増進という見地から、人事行政や職員の勤務等の実情に即した専門的な判断が求められるのであり(同法71条、87条)、その判断は人事院の裁量に委ねられているものと解される。したがって、上記判定は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したと認められる場合に違法となると解するのが相当である。

本件の検討

本件処遇は、経済産業省において、本件庁舎内のトイレの使用に関し、Aさんを含む職員の服務環境の適正を確保する見地からの調整を図ろうとしたものということができる。

Aさんは、性同一性障害である旨の医師の診断を受けているところ、本件処遇の下において、自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか、本件執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないのであり、日常的に相応の不利益を受けている
その一方で、Aさんは、健康上の理由から性別適合手術を受けていないものの、女性ホルモンの投与を受けるなどしているほか、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断も受けている。
現に、Aさんが本件説明会の後、女性の服装等で勤務し、本件執務階から2階以上離れた階の女性トイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはない。
また、本件説明会においては、Aさんが本件執務階の女性トイレを使用することについて、担当職員から数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり、明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない。
さらに、本件説明会から本件判定に至るまでの約4年10か月の間に、Aさんによる本件庁舎内の女性トイレの使用につき、特段の配慮をすべき他の職員が存在するか否かについての調査が改めて行われ、本件処遇の見直しが検討されたこともうかがわれない。
以上によれば、遅くとも本件判定時においては、Aさんが本件庁舎内の女性トイレを自由に使用することについて、トラブルが生ずることは想定し難く、特段の配慮をすべき他の職員の存在が確認されてもいなかったのであり、Aさんに対し、本件処遇による上記のような不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかったというべきである。
そうすると、本件判定部分に係る人事院の判断は、本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、Aさんの不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平並びに上告人を含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない。

結論

よって、本件判定部分は、裁量権の範囲を逸脱しまたはこれを濫用したものとして違法となると判断されました。

ポイント

本件では、Aさんに対して職場の女性トイレを自由に使用させない本件処遇が違法であると判断されました。この判決はあくまでも、Aさんとの関係での判断であり、すべてのトランスジェンダー(MtF)の方の女性トイレの利用について判断したものではありません。
他方で、本判決は、トランスジェンダーの職員と一緒に働く他の職員との利益が相反してしまう場合には、両者の利益の調整を適切に図るとともに、処遇後の状況も注視しながら、場合によっては当初の処遇を柔軟に変更していくことも必要であることを示しています。
性的指向や性自認に対する理解が進んでいない現在の日本の状況に照らして考えれば、トランスジェンダー(MtF)の方が女性トイレを利用することに対して、女性トイレ利用者が不安感や羞恥心を覚えることは当然に想定し得るところです。
もっとも、補足意見でも述べられているとおり、このような不安感や羞恥心などは、性的マイノリティの法益の尊重に理解を求める研修や教育などを通じて、緩和していくことが期待されます

弁護士にご相談ください

本判決を踏まえて、会社としては、今後、従業員から相談を受けたときに、どのように対応したらよいのかという悩みがあるかもしれません。
しかし、冒頭でも述べたとおり、性はグラデーションであり、それぞれの事情や要望、ニーズは異なるため、画一的に論じることはできません。
まずは一方的な思い込みで何かを判断するのではなく、しっかりと本人の声に耳を傾け、わからない点があれば、素直に教えてほしいと伝えること、これが第一歩です。
具体的にどのような対応や措置を講ずるべきか、周りの従業員との調整を如何に図るべきかなどについて悩まれた際には、ぜひ弁護士にもご相談ください。