労働問題

【判例解説】退職願をそのまま受理すると危険?【退職届の取扱い注意事項】

厚生労働省による令和4年雇用動向調査によると、前職を辞めた理由として、男女いずれも
1位:定年・契約期間の満了
2位:労働時間、休日等の労働条件が悪かった
3位:職場の人間関係が好ましくなかった
ことが挙げられています。

もっとも、どのような理由であれ、やはり従業員が退職願を出すときには、「一身上の都合により…」などと書かれることが多く、具体的な理由は書かれないのが通常です。
会社としても、あれこれ退職理由を詮索するのは憚られ、従業員が退職願を提出してきた場合には、そのまま受け取ってしまうのではないでしょうか。
ましてや本人が提出してきた退職願について、「それって本心だよね?」「あなたの意思で間違いないよね?」なんて何度も何度も確認することはないのではないでしょうか。

ところが、退職願をそのまま受理したことが争われた事件がありました。
退職願の受理方法、見直す必要があるかもしれません。

栃木県・県知事(土木事務所職員)事件・宇都宮地裁令和5.3.29判決

事案の概要

Aさんは、平成3年4月1日、栃木県知事によってB県の技術吏員に任命され、その後、本件処分に至るまでの間、栃木県内の土木事務所で勤務していました。
P次長は、令和元年10月16日当時、栃木県真岡土木事務所の次長兼管理部長として、人事や組織管理などの業務を担当し、Qチームリーダーは、同日当時、県土木整備部監理課企画調整担当において、人事管理、組織定数、服務の業務を担当していました。
Aさんは、双極Ⅱ型障害、双極性感情障害を理由として傷病休暇を取得し、その後も休職命令を受けて休職していましたが、試験就労を経たのち、平成28年12月1日から復職しました。

Aさん
Aさん

がんばって復職します

平成31年4月1日、Aさん、栃木県栃木土木事務所へ異動となりましたが、令和元年10月1日、双極性感情障害を理由として再び傷病休暇を取得しました。

Aさん
Aさん

やっぱりもう一度傷病休暇を取ります…

Aさんは、令和元年10月上旬頃、P次長から面談を行う旨の連絡を受け、同月16日午後、栃木県栃木土木事務所の会議室において、P次長及びQチームリーダーと1時間15分間の面談を行いました。
本件面談後、Aさんは「一身上の都合」により「令和元年10月31日」をもって退職する旨の同月18日付退職願を作成し、提出しました。

Aさん
Aさん

一身上の都合で退職します…

処分行政庁は、Aさんに対し、令和元年10月31日付で辞職承認処分をしました。

これに対し、Aさんは本件処分を不服であるとして、栃木県人事委員会に審査請求をしましたが、同委員会はこれを棄却する旨の裁決をしました。

Aさん
Aさん

え?実は辞めるつもりなかったんです

そこで、Aさんは、B県に対し、本件退職願にかかる辞職の意思表示は錯誤により無効であるなどと主張し、この退職願を前提としてなされた本件処分の取消しなどを求める訴えを提起したという事案です。

争点

本件の争点は、

①本件退職願にかかる辞職の意思表示に錯誤が認められるか、
②本件退職願にかかる意思表示が詐欺にあたるか、
③本件退職願にかかる辞職の意思表示がAさんの自由な意思に基づかないものであるか
④国賠法1条1項に基づく損害賠償請求が認められるか

です。

本判決の要旨

争点③(本件退職願にかかる辞職の意思表示がAさんの自由な意思に基づかないものであるか)について

➣判断枠組み

栃木県職員服務規程27条によれば、栃木県職員が退職しようとするときは、退職しようとする日前10日までに退職願を提出しなければならないものとされている。
もっとも、地方公務員は、退職願の提出によって当然に退職するものではなく、職を免ずる旨の発令(行政処分)をもって退職するものであるところ、地方公務員は法定の事由による場合でなければその意に反して免職されることはないから(地方公務員法27条2項)、退職願は、職員の意に反したものでないことを確認するための一手続というべきである。
そうすると、職員から退職願が提出されている場合であっても、退職願の作成に至る経緯や職員の心身の状況その他の事情に照らし、その意に反しないものと認められない場合には、当該退職願に基づきなされた、当該職員に対する職を免ずる旨の行政処分は、違法であると解するのが相当である

➣本件退職願の作成に至る経緯等

本件面談及び本件退職願の作成・提出はいずれも、Aさんが双極性感情障害のため傷病休暇を取得して約半月が経過し、なお傷病休暇中であった最中に行われたものであり、28年余にわたる公務員としての身分を失うという人生の重要局面における決断を、熟慮の上でなし得るような病状であったとは言い難い。
また、Aさんが本件面談に一人で臨んでいることや、本件面談で退職という選択肢を示されたのち、主治医や家族を含め誰にも相談することなく、本件退職願の作成、提出に至っていることからすれば、Aさんの上記のような精神状態にかかわらず熟慮し得る環境にあったとはいえない。
さらに、Aさんは、複数のとり得る選択肢を明示的に示されることがなかったことに加えて、その病状も相まって、翌月からの復職は困難であり、そうでなければ退職しか事実上の選択肢はないといった思考に至る状況に直面していたことがうかがわれる。
そして、退職はAさんの意に反するものであったといえ、本件面談当時の健康状態及び本件面談におけるQチームリーダーらの説明が相互作用したことにより、熟慮することができないまま退職の選択肢しかないという思考に陥った結果、本件退職願を提出するに至ったものと認められる。

裁判所
裁判所

Aさんは「退職するしかない」という思考に陥って退職届を出したと判断します

➣結論

したがって、本件退職願は自由な意思に基づくものとはいえず、退職がAさんの意に反しないものであったとは認められない。

その他の争点について

裁判所は、争点③について、本件退職願にかかる辞職の意思表示がAさんの自由な意思に基づかないものであるため、その他の争点について判断するまでもなく、本件退職願を前提としてなされた本件処分は違法であるから、取り消されるべきであると判断しました。
また、争点④については、Qチームリーダーらの行為に、国賠法1条1項所定の違法性は認められないから、損害賠償請求は認められないと判断しました。

裁判所
裁判所

Aさんの辞職は無効。

でも、慰謝料までは認められないですね

裁判所
裁判所

解説

本判決のポイント

本件は公務員であるAさんに対するB県の辞任承認処分の違法性が争われ、その処分の前提となった退職願にかかる辞職の意思表示の有効性が問題となりました。
本判決は、Aさんが双極性感情障害のために傷病休暇中であり、辞職という決断を熟慮のうえでなし得るような病状であったとは言い難いとして、Aさんの退職願を自由な意思に基づくものとはいえないと判断しています。
この判断を導くにあたり、裁判所は、本件退職願の作成に至る経緯等を詳細に検討しており、特にAさんが主治医や家族等に相談していなかったこと、面談に一人で臨んだこと、Aさんにとって他にとり得る複数の選択肢を明示的に示されていなかったことなども考慮にいれています。
これらの考慮要素は、今後、精神疾患にり患した労働者による辞職の意思表示が自由な意思に基づくものであるか否かを検討する上で非常に参考になりため、頭にいれておきたいポイントです。

退職願が提出された場合に備えて

近年、人手不足に伴う長時間労働などにより、こころの病による休職者や退職者の数が年々増加している傾向にあります。

我が国の少子高齢化の状況をみると、これからも、心身の状況を踏まえて、休職や退職を希望する人はますます増えてくるかもしれません。
そんなとき、職場の上司などとの面談を通じて、自分には退職の道しかないのだ…と受け取ってしまうと、これまでのキャリアや今後の働き方などを深く考えないままに退職届を出してしまうというケースが増えてくることも想定されます。
したがって、会社としては、労働者自らが退職届を書いてきたから本人の意思に基づくものだ、などと安易に決めつけることなく、当該労働者の状況を慎重に見極め、場合によっては主治医などの専門家の意見も踏まえながら、丁寧に退職の可否を判断する必要があります。

退職届は、提出された状況を踏まえて適切に受理しましょう。

顧問弁護士に事前相談を

退職願を受理してしまってから、後に労働者側から、「辞める意思はなかった!」などと主張されてしまうおそれは未然に防ぎたいものです。
そうはいっても、労働者の退職願の意思表示が真意であるのか否かを判断することは難しいのが現実です。
この点、日頃から顧問弁護士に社内の従業員の様子や状況について情報共有を図っておくと、たとえ退職願が出されたときも、どんな対応が必要なのか、慎重に配慮すべきことがあるのか、他の専門家の意見をきくべきかなど多角的な検討やリスク分析をすることができます。
従業員との紛争は会社にとって大きな負担となります。
会社の発展のためにも顧問弁護士を検討なされてはいかがでしょうか。