競業避止義務違反を認め従業員に退職金一部不支給を認めた例【日本産業パートナーズ事件】
従業員が会社を辞めるとき、経営者として一番不安になるのは、
「営業秘密や取引先情報が持ち逃げされるのでは?」
「従業員個人のデバイスに重要な情報が複製されていたらどうしよう?」
「会社の機密情報を基に競業他社に乗り換えるのかな?」
「自社と競業の事業を営もうとしているのでは?」
といったことではないでしょうか。
実際、弁護士事務所では、情報の流出や競業事業への従事などについてお悩みがある社長様からご相談を受けることが多々あります。
このような場合には、従業員の退職にあたり、従業員との間で情報の取り扱いに関する誓約書を交わしたり、競業禁止(避止)に関する契約を交わしたりすることが考えられます。
もっとも、従業員に対して過度な競業避止義務を課すことは、職業選択の自由を侵害することになり、生計の道を奪いかねません。
そこで、退職後の競業を禁止することについて合理性が認められない場合には、仮に会社が労働者との間で競業禁止に関する何らかの合意を交わしていたとしても、かかる合意は無効であると考えられています。
さて、今回は、そんな競業禁止義務をめぐり、入社時の競業避止条項に違反したことを理由として退職金の支給を制限することが許されるか否かが問題となった事案をご紹介します。
日本産業パートナーズ事件・東京高裁令和5.11.30判決
事案の概要
本件は、投資事業有限責任組合財産の運用及び管理ならびに投資事業有限責任組合への出資等を目的とするY社との間で、期間の定めのない雇用契約を締結していたXさんが、競業避止条項及び退職金の減額規定が無効であるなどと主張し、Y社に対し、退職金規程に基づく業績退職金等の支払いを求めた事案です。
事実の経過
XさんとY社の関係
Xさんは、平成24年5月17日、投資事業有限責任組合財産の運用及び管理ならびに投資事業有限責任組合への出資等を目的とするY社との間で、期間の定めのない雇用契約を締結しました。
競業避止条項の定め
Xさんの雇用契約にかかる労働契約書には、「備考」欄に、「退職後の転職等に係るXの制約事項」として、「Xは、XがY社を退職するに至った場合に退職後1年を経過する日まではY社がY社の競合若しくは類似業種と判断する会社・組合・団体等への転職を行わないことに同意する。但し、Y社の事前の同意があった場合はこの限りでない」と定められていました(本件競業避止条項)。
Xさんの勤務状況
Xさんは、平成24年5月、投資グループである第2チームに所属し、平成31年3月1日からは投資グループの第5チームも兼務するようになりました。
また、平成29年当時、第2チームは、C社・D社の案件を担当していました。
この案件は、平成30年4月頃、第5チームに引き継がれました。
資料の大量印刷
Xさんは、令和元年11月及び同年12月に、Xさんが関与した案件を含む投資検討先への提案資料、面談記録等大量の資料を印刷し、Xさんが印刷した資料の少なくとも一部は、XさんがY社の社外へ持ち出すことを目的としていました。
また、この頃、Xさんは転職活動中でした。
自分の関与していた案件の資料を印刷するぞ
退職届の提出
令和元年12月17日、Xさんは、Y社に対し、Y社を退職する旨の意向を伝え、同月19日頃、上司のGさんに対して、令和2年1月31日をもって退職する旨の、Xさん作成の書式による退職届を提出しました。
退職します
競業避止義務の拒絶
Y社による説明
Y社の人事労務担当者で管理グループ長であったFさんは、令和元年12月23日にXさんと面談し、
・Y社の書式で退職願を提出すること
・雇用契約の終了に関する合意書に署名押印すること
を求めるとともに、
・Xさんが本件雇用契約時に競業避止義務を負っていること
・競業避止義務違反があると、退職金の一部または全部が支払われなくなること
などを説明しました。
うちの書式で出してね。合意書も署名してね。
あと、入社のときに合意した競業避止義務があるから。
Xさんの拒絶意思
これに対して、Xさんは、雇用契約終了に関する合意書に定められた競業避止義務条項(1年間、Y社と競合する事業を行う法人等の従業員等に就いてはならない)には応じられない旨述べました。
また、Xさんは、同月24日、Fさんに対して、令和2年1月31日をもってY社を退職する旨のY社の書式による退職願を提出しましたが、上記合意書に競業避止義務が定められていたことから、合意書の署名押印には応じませんでした。
合意書は署名できません
競業企業への転職
Xさんは、令和2年2月、バイアウト投資事業等を行うB社と雇用契約を締結し、事業支援ファンドの運営、バイアウト投資を担当するファンド・事業投資グループに所属しました。
Xさんは、令和2年夏頃から、B社の担当者として、C社との間で、D社のカーブアウト案件を含め協議を行なっていました。
そして、B社のC社に対するD社株式の公開買い付けを行う旨の提案が採用されました。
Y社は、同年7月、M&A専門誌に掲載された記事をみて、XさんがC社・D社のカーブアウト案件に関与していたことを知りました。
そして、Y社は、Xさんに対して、B社への転職が競業避止義務に違反することを警告する書面を郵便及びメールに添付して送付しました。
B社に転職しました!C社とD社の担当も任されました!
退職金の減額
Y社の退職金等の考え方
Y社における業績年俸(賞与)及び業績退職金の算定には、業績年俸基準額が用いられていました。
業績年俸基準額は、対象期間1年間における従業員の業績、Y社への貢献度を勘案して翌年3月の人事査定により決定される「成績分」の金額と、一定の資格を持った従業員に付与された投資架空持分に対する分配額である「ファントムエクイティ分」の金額の合計とされていました。
また、Y社においては、業績年俸基準額の80%が業績年俸(賞与)となり、業績年俸基準額の20%が業績退職金となるという考え方がありました。
退職金規程の定め
Y社の平成21年1月1日改定にかかる退職金規程(旧退職金規程)14条は「法令、労働契約その他会社規程等への違反が認められる場合には、退職金の減額を行うことがある」と規定していました。
そして、Y社の平成30年9月20日改定にかかる退職金規程(新退職金規程)14条1項は、「法令、労働契約その他会社規程等への違反(退職後の競業避止義務違反、守秘義務違反が判明した場合を含む)が認められる場合には、退職金の全部または一部の支払いを行わないことがある。また、退職金支給後に上記違反が確認された場合には、支給された退職金の全額または一部の返還を求めることができる」と規定していました。
退職金の一部の減額
Y社における退職金として、基本退職金と業績退職金がありました。
Y社は、Xさんの退職金合計704万2000円から業績退職金525万4000円を減額した上で、令和2年2月28日、Xさんに対して、基本退職金178万8000円のみを支給しました。
退職金を減額します。
訴えの提起
そこで、Xさんは、本件競業避止条項及び本件減額規定は無効であると主張し、Y社に対し、退職金規程に基づく業績退職金等の支払いを求める訴えを提起しました。
争点
本件では、
①本件競業避止条項及び本件減額規定の有効性
②本件減額規定適用の可否
が争点となりました。
本判決の要旨
裁判所は、第一審判決を引用しつつ、本件競業避止条項及び本件減額規定が無効とはいえず、Y社による退職金の減額には根拠があるとして、Xさんの請求は認められないと判断しました。
争点①本件競業避止条項及び本件減額規定の有効性
判断枠組み
本件競業避止条項は、Y社の従業員であったXさんがY社に対しY社退職後に競業会社に転職しないことに同意する内容となっている。労働者は、職業選択の自由を保障されていることから、退職後の転職を一定の範囲で禁止する本件競業避止条項は、その目的、在職中の職位、職務内容、転職が禁止される範囲、代償措置の有無等に照らし、転職を禁止することに合理性があると認められないときは、公序良俗に反するものとして無効であると解される。
本件競業避止条項の合理性の有無
Y社の投資グループでは、(…)ノウハウを用いてカーブアウト投資等のバイアウト投資事業を行なっており、(…)このようなノウハウ、情報及び経験を有する従業員が、Y社を退職した後直ちにY社の競業他社であるバイアウトファンドのプライベートエクイティの事業を行う会社に転職等した場合、その会社は、その従業員のノウハウ等を利用して利益を得られるが、Y社はそれによって不利益を受け得ると考えられるから、これを防ぐことを目的として、少なくとも投資職の従業員に対して競業避止義務を課すことには合理性があるといえる(…)。
本件競業避止条項の相当性の有無
Y社は、カーブアウト等のバイアウト投資を主な事業とするところ、Xさんの退職前に競合の範囲をバイアウトファンドのプライベートエクイティ(を事業とする会社)であると説明しており、競合の範囲をかかる範囲と解するのであれば、制限の範囲が不相当に広く、また本件競業避止条項を無効とするほどに不明確であるとはいえない。また、競業避止義務を負う期間を1年間とすることは、本件競業避止条項の上記目的からすれば、不相当であるとはいえない(…)。
まとめ
よって、投資職であるXさんに対し、少なくともバイアウトファンドのプライベートファンドを事業とする会社への転職を1年間禁止することに合理性があると認めらないとはいえず、本件競業避止条項が、公序良俗に反し無効であるとはいえない。
そして、本件競業避止条項違反を理由に退職金を減額できる(本件退職金規定14条は不支給にできる。)本件減額規定が無効であるとはいえない。
争点②本件減額規定適用の可否
判断枠組み
(…)業績年俸基準額の80%が業績年俸(賞与)として(最終的にはY社の決定によるものの)従業員に支払われる点、業績退職金が各年度に取得したポイントを累計している点で、業績退職金は、賃金の後払的性格を有する一方、ベスティング率が付与時からの経過期間(勤務継続期間)によって増加する点で、功労報酬的な性格も有している(…)。
このような業績退職金の性質からすれば、本件競業避止義務違反をもって直ちに退職金を不支給又は減額できるとするのは相当といえず、本件減額規定に基づき、競業避止義務違反を理由に業績退職金を不支給又は減額できるのは、労働者のそれまでの勤続の功を抹消ないし減殺してしまうほどの著しく信義に反する行為がある場合に限られるとするのが相当である(…)。
本件の検討
Xさんは、投資グループに所属する投資職であり、Y社の投資検討先の情報、投資検討先の分析情報、入札価格に記載された資料等の情報を入手し、Y社のカーブアウト投資等のバイアウト投資のノウハウを知ることができる地位にあり、平成29年当時、C社への提案時の資料の作成を担当し(…)、Y社がC社に相応の関心を払っていることを認識し、その後もC社に関する新聞記事等を収集し、一定の関心を持っていたと認められる(…)。しかるに、Xさんは、このようなY社の重要な情報を認識しながら、Y社を退職した直後の令和2年2月にカーブアウト投資事業を行う本件別会社(B社)に就職し、同年夏頃にはY社が優先順位を最も高いとしていたC社・D社のカーブアウトの案件を担当し、本件別会社(B社)による提案が採用されるに至っている(…)。加えて、Xさんは、転職活動中でY社退職直前の令和元年11月及び同年12月にXさんが関与した案件を含む投資検討先への提案資料、面談記録等大量の資料を印刷し、Xさんが印刷した資料の少なくとも一部は、XさんがY社の社外に持ち出すことを目的としていた。
これらの事実からすれば、Xさんの競業避止義務違反は、(…)本件競業避止条項で競業避止義務を定めた目的に反する悪質なものであるといわざるを得ない(…)。
まとめ
以上のとお理、Xさんの競業避止義務違反の内容が悪質であること、Xさんが、故意に競業避止義務に違反していること、業績退職金に占めるXさんが貢献した割合も低いことなどを考慮すれば、Xさんの競業避止義務違反は、Xさんの勤続の功を大きく減殺する、著しく信義に反する行為に当たり、業績退職金525万4000円がXさんの退職金合計704万2000円(…)に占める割合が約4分の3と相当高いことを考慮しても、Y社がXさんの退職金合計704万2000円から業績退職金525万4000円を減額したことは相当であると認めるのが相当である。
結論
裁判所は、以上の検討より、Y社が、旧退職金規程又は本件退職金規程14条に基づき、Xさんの退職金から業績退職金の額を減額したことには理由があるとして、Xさんの請求は認められないと判断しました。
本件のポイント
どんな事案だったか?
本件は、するY社との間で、期間の定めのない雇用契約を締結していたXさんが、競業避止条項及び退職金の減額規定が無効であるなどと主張し、Y社に対し、退職金規程に基づく業績退職金等の支払いを求めた事案でした。
何が問題となったか?
本件では、
①本件競業避止条項及び本件減額規定の有効性
②本件減額規定適用の可否
が問題となりました。
ポイント
経産省が競業避止契約の有効性についてまとめた資料が公開されています。
一般に従業員に対する競業避止合意は認められにくい傾向にあります。そのような中で本件は、競業避止条項の有効性を認めた例として非常に参考になります。
本件では、入社時の競業避止条項の有効性が問題となった点で事案の特殊性がありました。
この点について、裁判所は、「労働者は、職業選択の自由を保障されていることから、退職後の転職を一定の範囲で禁止する本件競業避止条項は、その目的、在職中の職位、職務内容、転職が禁止される範囲、代償措置の有無等に照らし、転職を禁止することに合理性があると認められないときは、公序良俗に反するものとして無効である」との判断枠組みを示した上で、本件競業避止条項の合理性・相当性について検討し、公序良俗に反し無効であるとはいえないと判断しています。
また、本件減額規定適用の可否に関しては、「本件競業避止義務違反をもって直ちに退職金を不支給又は減額できるとするのは相当といえず、本件減額規定に基づき、競業避止義務違反を理由に業績退職金を不支給又は減額できるのは、労働者のそれまでの勤続の功を抹消ないし減殺してしまうほどの著しく信義に反する行為がある場合に限られるとするのが相当である」との判断枠組みを示した上で、Xさんの競業避止義務違反の行為態様や故意、業績退職金の占めるXさんの貢献した割合などを詳細に検討し、Y社が業績退職金を減額したことは相当であると判断しています。
このように、競業避止義務違反をめぐっては、そもそも競業避止条項が有効か否かという問題に加えて、競業避止義務違反があった場合において退職金を支給しない又は減額することが可能か否かという問題をそれぞれ検討し、慎重に対応することが必要です。
弁護士にご相談ください
従業員の退職時に競業他社への転職や競業事業を営むことに不安を持たれる方も多いと思います。
しかし、競業避止義務を課すことは、従業員の職業選択の自由を侵害することになり、生計の道を奪いかねません。
そのため、競業避止義務を課す使用者側の目的が、単に競争者の排除・抑制にとどまるような場合は、そのような競業避止義務を負わせることは、公序良俗違反として無効であると考えられています。
競業避止義務についてはこちらもご覧ください。
公序良俗に反するか否かを判断するに当たっては、制限の期間、場所的範囲、制限の対象となる職種の範囲、代償の有無などについて、会社の利益、元従業員の不利益、社会的利害などが総合的に考慮されますが、これらの考慮要素については、個々の労働者の地位や勤務状況などを具体的に検討する必要があります。
競業避止義務についてお悩みがある場合には、ぜひ弁護士にご相談ください。