特殊業務手当の廃止は違法?【労働条件の不利益変更】
近年、同一労働同一賃金の観点や手当の支給実態に照らして、就業規則や賃金規程の見直しを図り、手当の廃止や変更を行う企業が増えています。
もっとも、労働契約法第9条では、「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。」と定められており、原則として労使間の合意なく、労働条件を不利益に変更することはできません。
また、労働契約法第10条は、「使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。」と定めており、就業規則の変更により労働条件を変更する場合には、同条に掲げる各考慮要素を慎重に検討する必要があります。
近似の裁判例では、歩合給を廃止し、固定残業代に当たる運行時間外手当を創設する就業規則の変更が、労働条件の不利益変更に当たると判断された事案(栗田運輸事件)もあり、手当の廃止や制度の変更などのために就業規則の見直しには注意が必要です。
さて、今回は、精神、神経、筋の疾病、発達障害の克服等を目的とする病院において支給されていた特殊業務手当の廃止をめぐって、医療法人が看護師らから訴えを提起された事件について解説します。
国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター事件・東京地裁立川支部令和5.2.1判決
事案の概要
本件は、B医療法人が運営する病院で看護師または保育士として勤務するAさんらが、B医療法人に対して、特定の病棟に勤務するAさんらに対して支払われていた特殊業務手当を廃止する旨の決定が無効であると主張し、かかる決定がなければ支払われたはずの特定業務手当と実際に支給された手当との差額等の支払いを求めた事案です。
事実の経過
AさんらとB医療法人の関係
B医療法人は、精神、神経及び筋の疾患ならびに発達障害の克服等を目的とする国立研究開発法人であり、本件病院を設置していました。
そして、本件病院には、内科、診療内科、精神科、神経内科等が設置されていました。
Aさんらは、B医療法人との間で雇用契約を締結し、本件病院で看護師または保育士として勤務していました。
また、Aさんらは、全国国立医療労働組合M支部(本件組合)に所属していました。
本件組合には、本件病院で105名、隣接した保育所を含めると116名の組合員が所属しており、A1さんは平成30年3月当時、労働基準法に定める労働者の過半数を代表する代表者でした。
わたしたちは労働組合を結成しています
旧給与規程の定め
平成22年4月1日、B医療法人は、B医療法人国立精神・神経医療研究センター職員給与規程(旧給与規程)を作成し、B医療法人と雇用契約を締結する労働者に対して、これを周知しました。
旧給与規程では、B医療法人がAさんらに対し、特殊業務手当支給区分表に基づき、特殊業務手当を支給していました。
なお、特殊業務手当は、第6病棟、2階北病棟、2階南病棟、4階北病棟、4階南病棟、5階北病棟、5階南病棟、8病棟および9病棟で勤務する看護師らに対して支払われていた一方、一般病棟である3階北病棟および3階南病棟で勤務する看護師らに対しては支払われていませんでした。
一部の病棟勤務の人にだけ「特殊業務手当」を支給していました
就業規則の変更に向けた動き
B医療法人は、平成30年1月22日、同年4月1日施行予定の改定就業規則の条項案として、次の内容を提案・発表しました。
その後、B医療法人と本件組合は、平成30年2月16日から同年3月12日にかけて、5回にわたり団体交渉を実施しました。
また、平成30年3月28日、B医療法人は、職員の過半数代表者であったA1さんから、就業規則の変更にかかる意見聴取手続を行いました。
そして、B医療法人は、同月30日に立川労働基準監督署に対して、就業規則の変更届出を行いました。
給与規程の変更実施
平成30年4月1日、B医療法人は、旧給与規程から新給与規程への変更を施行しました。
これにより、特殊業務手当は、平成30年度から毎年度20%ずつ減額され、平成34年度には廃止されることになりました。
「特殊業務手当」は廃止しました
訴えの提起
Aさんらは、特定業務手当を廃止する旨の決定が無効であると主張し、B医療法人に対して、本件給与規程の変更がなければ支払われたはずの特定業務手当と支給された手当との差額等の支払いを求める訴えを提起しました。
争点
本件では、特定業務手当を廃止する旨の給与規程の変更が有効か否かが争点となりました。
本判決の要旨
判断枠組み
労働契約法10条は、変更後の就業規則を労働者に周知させ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるとき、就業規則により労働契約の内容である労働条件を変更することができる旨を定めている。
そこで、B医療法人が就業規則と一体となる旧給与規程を新給与規程に変更したことが、上記諸要素に照らし合理的なものであるか否かについて、以下、検討する。
労働契約法10条
労働契約法(平成十九年法律第百二十八号)
使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の変更によっては変更されない労働条件として合意していた部分については、第十二条に該当する場合を除き、この限りでない。
本件の検討
①労働者の受ける不利益の程度について
特殊業務手当の廃止が、Aさんらに心理及び実際の生活に影響を与えていることが認められる。
他方で、本件変更においては、特殊業務手当を一度に廃止するのではなく、平成30年度から令和4年度にかけて毎年度20%ずつ減額していく経過措置が設けられている。
また、B医療法人は、本件変更において、特殊業務手当を段階的に廃止することとしたほか、基本給及び月例年俸を平成30年4月1日から0.2%増額し、地域手当を14%から16%に引き上げ、夜間看護等手当を増額したことなどが認められ(…)厳しい経営状況の中、予算の手当をして、特殊業務手当の廃止により特殊勤務手当受給者の給与の手取額が減少することが見込まれる中、地域手当を2%引き上げ及び夜間看護等手当を増額したのは、特殊業務手当の廃止による不利益を緩和させる側面があることは否定できない。
以上のような新給与規程を前提に、一定の条件を設定した上、Aさんらがその後の年度に支給される給与の見込み額を試算した結果によれば、Aさんらの給与総支給額の年額は、平成30年度から令和4年度までの各年度において、いずれの年度も平成29年度の給与総支給額の額よりも増加することとなるから、特殊業務手当が超過勤務手当を算出する際の考慮要素であったことを踏まえても、本件変更による不利益の程度が大きいとはいえない。
特殊業務手当を段階的に廃止したことや他の手当等を増額したことを考えると、労働者の不利益の程度は大きいとは言えませんね
②労働条件変更の必要性について
➤経営上の必要性
B医療法人は、平成27年4月1日に通則法35条の4第1項に基づき、厚生労働大臣から指示された中長期目標により、平成27年4月から令和3年3月までの中長期目標期間中、「効率的な業務運営に関する事項」に掲げる取り組みを着実に実行して、同期間中の累計した損益計算において経常収支が100%以上となるよう経営改善に取り組み、同期間中に繰越欠損金を第1期中期目標期間の最終年度(平成26年度)比で3.5%削減するよう努めることが求められており、「効率的な業務運営に関する事項」では、「給与水準について、センターが担う役割に留意しつつ、適切な給与体系となるよう見直し、公表する。また、総人件費について、政府の方針を踏まえ、適切に取り組むこととする。」ことなどが求められ(…)、そのために、給与水準について適正な給与体系となるよう見直す必要性もあったということができる。
➤業務の特殊性と職員間の不公正の是正の必要性
特殊業務手当が支給される病棟の業務と特殊業務手当が支給されない病棟の業務の特殊性は、少なくとも、精神、神経及び筋の疾病並びに発達障害の克服等を目的とし、そのような病気を抱える患者を主に扱う本件病院においては、扱う患者の病名等の相違から特殊業務手当の付与の有無によって区別し得る程度に明らかとはいえない。
また、(…)本件病院において、旧給与規程に基づき特殊業務手当が支給されていた特定の病棟の職員に限定して、一般病棟の職員には支給されない手当を支給する合理性は、職員の意識においても、業務の実態においても失われてきた状況にあったということができる。
➤人材確保の必要性
B医療法人において、精神病棟及び障害病棟などに勤務する看護師等の人員を確保するために、特殊業務手当を支給する必要が失われてきたということができる。
特殊業務手当の必要性が薄れてきていることはうかがえますね
③本件変更後の就業規則の内容の相当性について
B医療法人は、特殊業務手当を廃止するだけではなく、その際に前記のとおり、経過措置を設けたほか、基本給及び月例年俸を0.2%増額し、地域手当を14%から16%に引き上げ、夜間看護等手当を増額し、特殊業務手当を廃止することにより生じる不利益を緩和しており、B医療法人が特殊業務手当を平成30年度から5年間かけ、毎年度20%減額し、令和4年度に廃止する場合に、新給与規程のもとにおいて、一定の想定(その想定が失当であることを認めるに足りる証拠は存しない。)をした上、各職種の給与年額への影響を試算した結果によれば、平成30年度から令和4年度までの各年度の給与年額が、新卒看護師、採用5年目看護師、その他、看護師及び保育士などいずれの職種においても、平成29年度の給与年額を上回っていたことが認められるから、本件変更後の就業規則の内容は相当なものであるということができる。
変更後の就業規則の内容も相当と言えますね
④その他の医療機関等の状況について
B医療法人が平成28年9月に実施した連携医療機関アンケート結果によれば、(・・・)特殊業務手当を設けない新給与規程が医療機関の給与規定として、特異なものとは認められず、また、特殊業務手当が支給される病棟の業務と特殊業務手当が支給されない病棟の業務の特殊性は、少なくとも、精神、神経及び筋の疾病並びに発達障害の克服等を目的とし、そのような病気を抱える患者を主に扱うB医療法人においては、扱う患者の病名等の相違から特殊業務手当の付与の有無によって区別し得る程度に明らかとはいえないことは、前記のとおりである。
⑤労働組合等との交渉の状況について
B医療法人は、平成30年1月22日、特殊業務手当を廃止することなどを内容とする職員給与等の改定案を示し、同月25日、本件組合にその内容を説明して以降、同年4月1日に新給与規程が施行されるまでの間、5回にわたる団体交渉や窓口交渉を実施し、その中で、特殊業務手当の廃止についても説明をし、また、特殊業務手当廃止の経過措置を当初の4年から5年に変更し、基本給及び月例年俸を0.2%引き上げるなどしている。
B医療法人が改定案を示した日と施行までの期間は長くはなく、B医療法人は、平成27年4月1日には中長期計画を定め、給与制度の適正化にも取り組んでいたから、もっと早く改定案の内容を詰めて、その内容を明らかにすべきであったとはいい得るが、決算の状況を踏まえ、約70年にわたって続いていた特殊業務手当の廃止に踏み込むかどうかについては、相応の検討期間を要するものといえるし、前記のとおり、本件組合と5回にわたり団体交渉を行い、その間に窓口交渉も行い、一部変更にも応じており、本件組合から理解を得られるように、回数と時間をかけて対応していたということができるから、労働組合等との交渉の欠缺などを理由に、本件変更が無効になるとはいえない。
組合との交渉も回数と時間をかけて対応していますね
小括
以上検討した、本件変更により労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性や、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況やその他就業規則の変更に係る事情に照らすと、旧給与規程から新給与規程への本件変更は、合理的なものといえるから、労働契約法10条により有効であるということができる。
結論
裁判所は、以上の検討により、B医療法人による特殊業務手当を廃止する旨の決定は有効であり、Aさんらの請求は認められないとの判断を示しました。
解説
本件のポイント
本件では、給与規程の改定による特殊業務手当の廃止の効力が争われました。
就業規則の変更による労働条件の不利益変更については、冒頭でも述べたとおり、労働契約法第10条において、「使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。」と規定されており、当該変更が有効であるといえるためには、諸事情に照らして合理的であると認められる必要があります。
この点、本判決は、B医療法人による給与規程の変更に合理性が認められるか否かを判断するにあたり、
✔労働者の受ける不利益の程度
✔労働条件変更の必要性
✔本件変更後の就業規則の内容の相当性
✔その他の医療機関等の状況
✔労働組合等との交渉の状況
について、それぞれ事実に照らしたうえで詳細に検討しています。
なお、これまでの裁判例においては、給与や退職金といった労働者にとって特に重要な権利、労働条件に関して、実質的に不利益を及ぼす就業規則の変更については、「そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性」が要求されています。
本件では、このような「高度の必要性」までは求められていませんが、変更される労働条件の内容によっては、より厳しく判断される可能性もあるという点では注意が必要です。
弁護士にご相談ください
給料や各種手当の支給は、労働者の経済的な利益になるだけでなく、勤務意欲やモチベーションにつながるものでもあります。
そのため、特に給与や退職金、手当に関する労働条件の変更は、労働者にとって与える影響が非常に大きいものであり、会社としても慎重な対応が求められます。
たとえば、これまでの裁判例では、歩合給を廃止して固定残業代に当たる運航時間外手当を創設する就業規則の変更を行った事案において、変更による不利益の程度が著しいうえ、変更の必要性が高かったとは認めがたく、変更当時に特段の代償措置がなかったことからすれば、高度の必要性に基づいた合理的な内容のものとは認められない判断されたケースもあります(栗田運輸事件)。
仮に、就業規則の変更が無効であると判断されてしまった場合には、会社としては、旧給与規程に基づく賃金や手当等と現に支払った金員との差額分や遅延損害金等を支払わなければならないため、大きな負担となります。
したがって、労働条件を不利系に変更する旨の賃金規則の変更等を行う場合には、事前に顧問弁護士に相談し、合理性を欠くものではないか否か、労働者に対する周知徹底などの手続面において問題はないか否かなどを十分に確認しながら進めていくことが大切です。
賃金や手当の変更は慎重に行う必要があります
就業規則の変更に関してお悩みがある場合には、ぜひお気軽にご相談ください。