施設利用者の誤嚥事故の責任【老人ホームの使用者責任をめぐる問題】
近年よく話題になる誤嚥性肺炎。
誤嚥性肺炎とは、食べ物や唾液などが誤って気道内に入ってしまう誤嚥が原因となって発症する肺炎のことです。
近年、肺炎は日本人の死因の第3位という非情に高い割合を占めており、そのうち約8割は誤嚥性肺炎であるといわれています。
誤嚥性肺炎は一度起こしてしまうと何度も起こしやすい体質になってしまうことがあるうえ、場合によっては死に至る危険性もあるため、生活習慣の見直しや適度な運動、嚥下検査や食事形態の指導を受けることなどの適切な予防が不可欠です。
さて、今回は、そんな「誤嚥」に関して、介護施設で提供されたゼリーをのどに詰まらせて死亡してしまった施設利用者の相続人が、介護施設を訴えた事件を紹介します。
D老人ホーム事件・広島地裁令和5.11.6判決
事案の概要
本件は、C法人が運営する短期入所生活介護事業所Dにおいて、同施設職員によって提供されたゼリーをのどに詰まらせ、窒息死してしまったBさんの相続人であるAさんが、本件事故は施設職員の過失により生じたものであると主張し、C法人に対して、使用者責任に基づく損害賠償等の支払いを求めた事案です。
事実の経過
Bさんの介護サービス利用状況
Bさんは、平成28年3月24日、特別養護老人ホーム、老人短期入所事業の経営等を目的とする社会福祉法人であり、本件施設を運営するC法人との間で、指定短期入所生活介護利用契約を締結しました。
同日以降、Bさんは本件施設において介護サービスを受けるようになりました。
Bさんは、大正15年生まれであり、本件事故が発生した令和3年7月20日当時は、94歳でした。
本件事故の発生
令和3年7月20日、Bさんは、本件施設3階にある食事提供場所(本件食堂)において、おやつとして梅ゼリーの提供を受けました。
この食事中、Bさんは梅ゼリーをのどに詰まらせてしまい、窒息により意識を心肺停止の状態に陥りました。
その後、Bさんは病院に搬送されましたが、植物誤嚥による窒息により死亡しました(本件事故)。
訴えの提起
そこで、Bさんの子であるAさんは、本件事故は本件施設職員の過失により生じたものであると主張し、C法人に対して、使用者責任に基づく損害賠償等の支払いを求める訴えを提起しました。
争点
本件では、①本件事故について本件施設職員に過失があるか否か、また②過失相殺が認められるか否かが主な争点となりました。
本判決の要旨
争点①本件施設職員の過失の有無
ⅰ誤嚥防止義務違反について
➤予見可能性
Bさんは、その年齢や既往歴からして誤嚥を引き起こす危険性が特に高く、本件施設もこれを認識して、Bさんの食事の際の声掛けや見守りを行う方針としていたのであるから、Bさんが自力での食事の摂取が可能だったことや本件ゼリーが厚生労働省の「えん下困難者用食品許可基準」を満たしており誤嚥の可能性が特に高いものではなかったことを前提としても、Bさんが本件ゼリーを誤嚥することを予見することは可能だったといえる。
そうすると、本件施設職員は、(…)指定短期入所生活介護利用契約に基づきBさんの日常生活全般について介護サービスを提供することとなっていたC法人の従業員として、Bさんの食事に注意を払って同人の誤嚥を防止し、誤嚥が発生したとしても直ちに対処する義務があったというべきである。
Bさんが誤嚥することは予見できましたね
➤回避可能性
また、(…)本件ゼリーをBさんの手が届かない場所に配膳し、施設利用者全員への配膳が終わり、施設職員が食事の見守りや介助を確実に行えるようになった後に本件ゼリーをBさんの手元に移動させるなどの一般的な措置を講じていれば、(本件食堂のフロアリーダーを務めていた)Sらが他の施設利用者に本件ゼリーの配膳を行っている間に、Bさんが本件ゼリーを摂取して誤嚥することを防ぐことができ、あるいは、Bさんの唇にチアノーゼが出現しSの声掛けにも応じられない状態に至るまで、本件食堂にいたSらの誰もBさんの誤嚥に気づかなかったという状態は避けられたということができる。
施設職員が見守りや介助を確実に行えるようになった後でゼリーを移動させていれば、ご縁に気づかなかったという状態は回避できましたね
➤過失の重大性
しかも、Bさんは、本件事故の1か月前に自宅で食事を取った際にむせ込んでいたことが確認されており、本件事故当日むせ込むことすらできないほど体力が低下したことをうかがわせるに足りる証拠がないことからすれば、誤嚥直後、しばらくの間、むせ込んだり声をあげたり何らかの反応があったはずであるところ、また、反応がなくなった後の様子は、放置してよい単なる傾眠状態等とは異なる様子であったはずであるところ、Sらは施設利用者全員への配膳終了後10分程度経過して初めてBさんの異変に気付いたというのであるから、Sらは施設利用者全員への配膳終了後もBさんに対し同人に対する本件施設の方針である誤嚥防止等のための見守りを行っていなかったことは明らかである。
Bさんの異変に気づくまで時間が経っていたことは過失は重大と言わざるを得ませんね
➤まとめ
以上からすれば、Sらの、前記Bさんの誤嚥を防止する措置を講じる義務を怠った責任は、極めて重いといえる。
ⅱ救護義務違反について
Aさんは、本件施設職員が適切な救命措置を講じる義務を怠ったと主張する。
前記認定事実によれば、Bさんが本件ゼリーを誤嚥した後の本件施設職員の対応には、最初に救急ではなく警察に通報したことにより救急への通報が遅れた、救急から指示されるまでAEDを作動させなかったといった事情は認められるが、一方で、Sは、Tからの報告を受けてBさんの状態を確認した後、直ちに看護師の下にBさんを連れて行き、同看護師が本件ゼリーの誤嚥を疑い吸引器等を用いて本件ゼリーを取り出したことにより窒息の原因の除去を行っており、その後も心肺蘇生のために心臓マッサージを実施していることからすると、適切な救命措置は尽くされていたというべきであり、前記Aさんの主張は採用できない。
ただし、救護義務違反が認められないとしても、そのことをもって、本件事故を発生させた本件施設職員の責任の程度が軽くなるものではない。
争点②過失相殺の可否について
C法人は、Bさんが、幾多の既往症を持っていたことに加え、高齢だったこともあり、嚥下能力が著しく低下していたことを指摘し、本件事故当時、いつなにが起こるかわからない状態であったことから、過失相殺及びそれに準じた素因減額がなされるべきである旨主張する。
しかしながら、C法人は、Bさんと指定短期入所生活介護利用契約を締結し、C法人が指摘するBさんの既往症や年齢及びこれらの事情から生じうる危険性も承知した上で、同人の日常生活全般に対する介助を引き受けていたというべきであり、C法人の従業員である本件施設職員は、Bさんの年齢や既往症やこれらから生じる危険性を前提として、Bさんの誤嚥を防止する措置を講じる義務を負っていたにもかかわらず、前記のとおりこれを怠り、一般的な注意を払っていれば確実に防げたはずの本件事故を発生させてしまったのであるから、Bさんの年齢や既往症が本件ゼリーの誤嚥の原因となっていたとしても、これが故に過失相殺や素因減額を認めることはできず、C法人の主張は採用できない。
Bさんの過失相殺や素因減額は認められませんね
結論
よって、裁判所は、以上の検討により、C法人はAさんに対して、2365万円及びこれに対する遅延損害金の支払義務があるとの判断をしました。
本件のまとめ
本件は、老人ホームで介護を受けていたBさんが、施設内で提供されたゼリーをのどにつまらせ窒息死した事故について、Bさんの相続人であるAさんが、施設職員に過失があったと主張し、使用者責任に基づいて本件施設の運営者であるC法人を訴えた事件でした。
C法人は、本件ゼリーが厚生労働省の「えん下困難者用食品許可基準」を満たしていたことやBさんの嚥下能力が低下していたことは把握し難かったことなどから、施設職員がBさんの誤嚥を予見することは困難であったなどから、誤嚥防止義務違反はなかったと主張していました。
もっとも、裁判所は、Bさんの年齢や既往歴からして誤嚥を引き起こす危険性が特に高く、本件施設もこれを認識して、Bさんの食事の際の声掛けや見守りを行う方針としていたことを指摘し、施設職員としては、Bさんの食事に注意を払って同人の誤嚥を防止し、誤嚥が発生したとしても直ちに対処する義務があったにもかかわらず、これを怠ったとして、誤嚥防止義務違反を認めました。
また、C法人は、本件事故当時のBさんは極めて高齢で疾患をかかえ、体力、嚥下能力が著しく低下していた状況であったことから、過失相殺又はそれに準じた素因減額が認められるべきであると主張していました。
もっとも、裁判所は、施設職員は、Bさんの年齢や既往症やこれらから生じる危険性を前提として、Bさんの誤嚥を防止する措置を講じる義務を負っており、一般的な注意を払っていれば確実に防げたはずの事故を起こしたものであることから、Bさんの年齢や既往症が本件ゼリーの誤嚥の原因となっていたとしても、過失相殺や素因減額を認めることはできないとして、C法人の主張を一蹴しています。
このように、本判決では、施設職員にはBさんの年齢や既往症、これによって派生して生じ得る危険性を前提として誤嚥防止義務があるとしていますが、果たしてここまで高度な誤嚥防止義務が介護職員にあるといえるのか否かには疑問が残ります。
また、裁判所が指摘するような「一般的な注意」というものが、介護施設という特殊な職場環境において「一般的な注意」といえるのか否かについても、改めて検討する余地はありそうです。
弁護士にご相談ください
本件は介護施設における施設職員の過失(不法行為)が認められたことから、施設を運営する法人に対する使用者責任が認められた事案でした。
民法715条は、「ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。」と規定しています。
仮に、使用者責任が成立した場合、使用者は被用者の加害行為によって生じた損害を賠償しなければなりません。使用者と被用者は、いずれも被害者に対して全額の賠償義務を負うため、どちらが被害者に対して支払ってもよいのですが、通常は資力の大きい使用者側が全額負担をすることが多い傾向にあります。
事後的に、被用者に対して使用者が求償することができる場合もありますが、求償の範囲も信義則上相当と認められる限度に制限されるため、全額を求償できるケースは少ないのが現実です。
高齢の方が自分で食べたゼリーによる誤嚥性肺炎の事故で、過失相殺も素因減額も認められない厳しい判断がなされています。
したがって、使用者としては、日ごろから従業員に対して、第三者への加害行為が行われないように十分な指導・監督等を行っておくことが必要です。また、万が一、従業員による加害行為が起きてしまった場合には、使用者として速やかに対応することも大切です。当然ながら賠償責任保険の加入も忘れないようにしましょう。
使用者責任が問われた事案としてこちらもご覧ください。
従業員による加害行為や使用者責任の果たし方についてお悩みがある場合には、ぜひ弁護士にご相談ください。