給与債権への差押え?全部取消しの申立ては可能か?【大阪地裁令和6年8月23日決定】
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会社の運営において、従業員の方に対する給与の支払はとても重要な義務の一つです。
他方で、この給与債権に対して、第三者から差押えがなされることがあります。
例えば、従業員の方が、第三者からお金を借りていたものの返せずに滞納してしまっていた場合、離婚をして養育費の支払い義務を負うのに払っていなかった場合などなど、その背景事情は様々です。
このような給与債権への差押えなどがなされると、会社としては、何も関係がないつもりでも、知らず知らずと裁判の手続きに巻き込まれることがあるのです。
そのため、使用者としては、日頃から、従業員の方に対して、法律に関することや生活のことなどで悩みを抱えていないかどうか、そっと見守っていくことが大切です。
弁護士法人ASKでは、従業員の方のお悩みに寄り添うEAPというサポートシステムがあります。福利厚生の一環にもなりますので、ぜひEAPの活用をご検討ください。
裁判例のご紹介(差押禁止債権の範囲変更申立事件・大阪地裁令和6年8月23日決定)
さて、今回は、債務者が就労しながら生活保護費を受給しているという事情の下で、養育費や婚姻費用の請求に関して給与債権への差押えがなされ、その差押えについて全部取消しの申立てが認められるのかどうか?が問題になった事案をご紹介します。

どんな事案?
この事案は、債権差押命令によって給与債権等の差押えを受けた申立人Xさんが、民事執行法153条1項に基づいて、差押命令の取消しを求めた事案です。
何が起きた?
婚姻費用の支払いに関する調停成立
Xさん(申立人)とYさん(相手方)は婚姻し、2人の間には長女・長男・二男がいました。
しかし、平成24年11月、XさんとYさんとの間で、当分の間別居し、XさんがYさんに対して、婚姻費用の分担金として、同年12月から離婚等をするまでの間、月額10万円を支払うなどを内容とする調停が成立しました。
給与債権の差押
Yさんは、平成25年、上記の調停調書正本に基づいて、Xさんの給与債権等について差押命令の申立てを行い、同年8月、差押命令が発せられました。
そして、Yさんは、この差押命令に基づいて合計10万2509円を取り立て、その他の申立てを取り下げました。
離婚に関する調停成立
その後、XさんとYさんは、平成25年12月、調停離婚し、子供3名の親権者をYさんと定めました。
また、XさんはYさんに対して、養育費として、同月から子らがそれぞれ満20歳に達する月まで、長女につき月額6000円、長男及び二男につき各月額7000円を支払うなどとの調停が成立しました。
なお、この調停の条項では、Xさんが定職に就いた場合は、Yさんにその旨連絡し、養育費の額について協議することとされていました。
その後の状況
その後、Xさんからは、婚姻費用の残額や養育費の支払がほとんどされないままであったところ、長女及び長男は満20歳に達し、二男は令和3年4月に大学に入学することになりました。
なお、それまでの間、長女が指定難病と診断され、Yさんが居住していた府営住宅が全焼損となるという出来事もありました。
調停条項の変更審判
このような経緯を経て、Yさんは養育費増額調停の申立てを行いました。
これに対して、Xさんは出頭しなかったものの、Yさんの収入状況、申立人の年齢等から推察される稼働能力等を考慮し、令和3年4月以降支払分の二男の養育費に関する調停条項は、
「XさんはYさんに対し、二男の養育費として、令和3年4月から令和7月3月(大学を卒業する月)まで、月額5万円を支払う。」
と変更する旨の調停に代わる審判がされ、同審判は異議なく確定しました。
Xさんの状況
Xさんは、令和2年8月から生活保護法による扶助を受けていましたが、上記の養育費増額調停の手続きにおいて、その事実を主張することなく、Yさんは、Xさんが今回この申立てをするまで、その事実を知りませんでした。
なお、Yさんは、本件差押命令に基づいて、Xさんの給与等(毎月10日払)から取立てをしているところ、Xさんにはその額(差押分)に相当する金額の生活保護費が支払われています。
Yさんの状況
他方、Yさんは、正職員として勤務しており、Yさんには月額30万円を超える収入がある状況にありました。また、Yさんが親権者となった長女は既に結婚して独立しており、長男も会社員として勤務し、一人暮らしをしていました。
Xさんによる差押命令の取消し請求
このような経緯を踏まえて、Xさんは、Yさんに対し、民事執行法153条1項に基づいて、本件差押命令の取消しを求める申立てを行いました。

何が問題になった?
Xさんは、この裁判において、民事執行法153条1項に基づく差押命令の全部の取消しを求めていました。
民事執行法153条1項では、「執行裁判所は、申立てにより、債務者及び債権者の生活の状況その他の事情を考慮して、差押命令の全部若しくは一部を取り消し、又は前条の規定により差し押さえてはならない債権の部分について差押命令を発することができる。」として、差押禁止債権の範囲の変更について定めています。
本件において、Xさんは生活保護費を受給しているところ、Xさんは職について給与収入を得ているため、生活保護費は最低生活費から給与額を差し引いた額とされています。
そのため、この給与債権が仮に一部であっても差し押さえられてしまうと、債務者であるXさんにとっては生活に大きな影響が生じます。
他方で、養育費や婚姻費用という債権の性質に照らすと、債権者であるYさん側にとっても、この支払いを受ける必要性は高く、仮に差押命令が取り消されるということになれば、Yさんにとっては当面の養育費等の支払を受けられないという面で生活に大きな支障を及ぼしてしまいます。
そこで、民事執行法153条1項の規定を前に、Xさん側の事情とYさん側の事情をどのように考慮して判断するべきなのか?という点が問題になりました。
裁判所の判断
まず、裁判所は、Xさんの勤務先から支払われる給与等は、生活保護費と合わせて最低限の生活を営むのに必要なものであることから、このような給与等の債権を差し押さえる旨の差押命令は「特段の事情」がない限り、全て取り消されるべきであるとの判断を示しました。
「前記認定事実を踏まえると、申立人は生活保護法による扶助を受けており、一件記録によれば、法律上算定される本来の生活保護費から、申立人に対して勤務先から支払われる給与等を控除した金額に相当する生活保護費が支払われていることがうかがわれる。
このことを踏まえると、申立人の勤務先から支払われる給与等は、生活保護費と合わせて最低限の生活を営むのに必要なものであり、実質的に生活保護費に相当するものということができる。そうすると、このような給与等に係る債権を差し押さえる旨の差押命令は、特段の事情のない限り、民事執行法153条1項によりすべて取り消されるべきである(…)。」
「特段の事情」の有無
その上で、裁判所は、上記「特段の事情」の有無を検討し、本件においては、かかる「特段の事情」が認められることから、生活保護のことを理由に差押えをすべて取り消すことは相当でないとして、差押禁止債権の範囲を変更するに止める旨の判断を示しました。
「まず、本件差押命令における請求債権は養育費請求権等であり、確実かつ迅速に支払われる必要性が高いものであり、その性質に照らせば、義務者である申立人は、その支払に向けて可能な範囲で努力すべきものである(なお、現在の家庭裁判所の実務では、生活保護受給者も一定の範囲で養育費の支払義務を負うとされることが多い。)。
生活保護法による扶助を受ける中での努力には限りがあると思われるが、本件申立ての際に提出された家計収支表によると、申立人は毎月、給与等及び生活保護費を、嗜好品代に1万6000円程度、娯楽費に6000円~1万9000円程度充てており、ある程度嗜好品や娯楽を控えることによって、継続的に養育費の支払に充てる金額を捻出することは十分可能と認められる(ただし、その内訳が不明であること、家計を維持するのにある程度の余裕は必要であること等を踏まえると、その全額を相手方への支払に充てるべきとまでいうことはできない。)。そうすると、その限度で本件差押命令に係る差押えを維持しても、生活保護法の趣旨・目的とは抵触しないと考えられる。
また、差押禁止債権の範囲変更の判断に当たっては、債務者(義務者)の誠実性等も考慮されるべきところ、債務者である申立人は、調停で定められた養育費等を長年にわたってほとんど支払っておらず、令和3年の調停の際を含め、平成25年の調停で決められた就職状況の連絡もしていなかったことが認められる。また、申立人は令和3年の調停に出頭せず、生活保護のことは考慮されない内容の調停に代わる審判がされたのに何ら異議を申し立てず、二男の養育費を月5万円に増額する旨の審判が確定したのである。以上の経緯等を踏まえると、申立人にはすべての請求債権との関係で不誠実性が認められ、権利者である相手方が養育費の支払について抱いている期待は保護に値するものといえる。相手方には前記認定のとおり、それ相応の収入があるが、厳しい状況の中で子らを監護養育し続けてきたのであり、以上の経緯等を踏まえると、申立人の生活保護のことを理由に、本件差押命令に係る差押えをすべて取り消すことは公平に反する事態を招くことになる。
以上の諸事情を踏まえると、本件においては上記3で判示した「特段の事情」があり、生活保護のことを理由に差押えをすべて取り消すことは相当でない。とはいえ、申立人は生活保護法による扶助を受けていることを踏まえると、本件差押命令に係る差押え(差押禁止債権の範囲2分の1)をすべて維持することはできず、前記認定の申立人の生活状況、相手方の収入状況等を踏まえると、差押禁止債権の範囲を5分の4に変更する(差押可能部分である5分の1を超える差押部分を取り消す)のが相当である(なお、今後は差押分に相当する金額の生活保護費が支給されなくなる可能性があるが、その場合、申立人は勤務先から支払われる給与等及び支給される生活保護費によって生活することになる。)。」
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さて、今回は、給与債権に対する差押命令をめぐり、差押えを受けた債務者が、裁判所に対して、差押命令の全部取消しを求めた事案をご紹介しました。
この事案では、債務者が就労をしつつも生活保護を受給しながら生活していたという背景事情に照らして、裁判所は、このような給与等に係る債権を差し押さえる旨の差押命令は、特段の事情のない限り、民事執153条1項に基づいて全部取り消されるべきとの見解を示しつつも、やはり「特別の事情」についても細かく検討を加え、結果的に全部取消しは許されないという結論を導いています。
特に養育費や婚姻費用などの債権は、それぞれの当事者の生活と密接不可分につながる重要な権利であるからこそ、このような慎重な判断がなされるものと考えられます。
もっとも、このような事案は本当にそれぞれの事案の内容次第で大きく結論も変わってきます。そのため、個々の事案ごとに法律の専門家に相談しておくこともおすすめです。
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