労働分野におけるゲノム情報の取扱いに関するQ&A公表【労働分野の不当な差別防止】
ゲノムとは、遺伝子をはじめとする遺伝情報の全体を意味しており、「遺伝子は人の体の細胞が正しく働くための設計図」であるともいわれています(国立がん研究センターHP「よく分かるがんゲノム医療とC-CAT」参照)。
近年の技術の進歩は目覚ましく、ゲノム解析によって、医学的な病気の治療や診断、将来の自身あるいは家族の健康状態の予想までできるようになってきています。
遺伝子の役割と病気との関係性については、まだまだ解明されていないこともたくさんありますが、バイオサイエンスの進展は今後の画期的な新薬の開発にもつながっていくものと考えられています。
このように、ゲノム解析は私たちにとって欠かせないものではありますが、残念ながら、不当な差別というネガティブな用いられ方をしてしまうケースがあります。
そこで、令和6(2024)年8月20日、厚生労働省は、ゲノム情報による労働分野における不当な差別を防止する観点から、「ゲノム情報による不当な差別等への対応の確保(労働分野における対応)」について、Q&Aの形式で、考え方を公開しました。
従業員の採用など採用後の対応などについて参考になる点が多数盛り込まれていますので、とても重要です。
なお、本解説記事は、厚生労働省のHPサイト「ゲノム情報による不当な差別等への対応の確保(労働分野における対応)」を参照しています。
- なぜゲノム情報の取扱いに関する考え方が示されたの?
- Q&Aの具体的内容は?
- Q1:採用選考時に応募者の遺伝情報の提出を求めても問題ないのでしょうか。
- Q2:採用後、ゲノム情報を取得して提出するよう(又はゲノム情報を取得したと会社で話したところ、ゲノム情報を提出するよう)、会社から求められました。求めに応じる必要はあるのでしょうか。
- Q3:採用後、会社からゲノム情報の提出を求められ提出したところ、解雇されました。ゲノム情報を基に解雇することは問題ではないのでしょうか。
- Q4:採用後、会社からゲノム情報の提出を求められ提出したところ、異動を命じられました。ゲノム情報を基に配置転換を命じることは問題ではないのでしょうか。
- Q5:採用後、会社からゲノム情報の提出を求められ提出したところ、昇格・昇給が止まりました。ゲノム情報を基に昇格・昇給に関する不利益な取扱いをすることは問題ではないのでしょうか。
- Q6:配置転換や解雇などの不利益取扱いを受けた場合には、どこに相談すればいいのでしょうか。
- ポイント
- 弁護士にもご相談ください
なぜゲノム情報の取扱いに関する考え方が示されたの?
ゲノム医療推進法が施行
令和5(2023)年6月16日、ゲノム医療推進法(正式名称:「良質かつ適切なゲノム医療を国民が安心して受けられるようにするための施策の総合的かつ計画的な推進に関する法律」が施行されました。
この法律は、「ゲノム医療が個人の身体的な特性及び病状に応じた最適な医療の提供を可能とすることにより国民の健康の保持に大きく寄与するものである一方で、その普及に当たって個人の権利利益の擁護のみならず人の尊厳の保持に関する課題に対応する必要があることに鑑み、良質かつ適切なゲノム医療を国民が安心して受けられるようにするための施策(以下「ゲノム医療施策」という。)に関し、基本理念を定め、及び国等の責務を明らかにするとともに、基本計画の策定その他ゲノム医療施策の基本となる事項を定めることにより、ゲノム医療施策を総合的かつ計画的に推進することを目的」としています。
ゲノム情報による不当な差別は許されない
ゲノム推進法の第3条においては、ゲノム医療施策の基本理念が定められているところ、同条第3号には、「生まれながらに固有で子孫に受け継がれ得る個人のゲノム情報には、それによって当該個人はもとよりその家族についても将来の健康状態を予測し得る等の特性があることに鑑み、ゲノム医療の研究開発及び提供において得られた当該ゲノム情報の保護が十分に図られるようにするとともに、当該ゲノム情報による不当な差別が行われることのないようにすること。」と掲げられています。
すなわち、ゲノム情報は、非常に高度な個人情報であり、不当な差別は許されないことが示されています。
労働分野においても理念はあてはまる
そこで、このような基本理念に基づいて、厚生労働省は、ゲノム情報の取扱いに関する労働分野における取扱いについて、今般、その考え方を示すに至ったのです。
Q&Aの具体的内容は?
では、具体的に、厚生労働省はどのような考え方を示しているのでしょうか。
Q1:採用選考時に応募者の遺伝情報の提出を求めても問題ないのでしょうか。
まず、採用選考時に、使用者が応募者の遺伝情報の提出を求めてよいかどうかについて。
厚労省は、次のとおり述べています。
・求職者等の個人情報の取扱いについては、職業安定法第5条の5及び同法に基づく指針により、業務の目的の達成に必要な範囲内で当該目的を明らかにして収集することとされています。
・特に本籍や出生地など社会的差別の原因となるおそれのある事項については、特別な職業上の必要性が存在することその他業務の目的の達成に必要不可欠であって、収集目的を示して本人から収集する場合を除き、収集してはならないこととされており、遺伝情報は、この「社会的差別の原因となるおそれのある事項」に含まれます。
・また、応募者の遺伝情報を取得・利用することは、本人に責任のない事項をもって採否に影響させることにつながることになり公正な採用選考(…)の観点から問題があることから、そうした必要性のない情報を把握してはならない旨を事業主に対して周知・啓発しており、問題があるような事例については、ハローワークにおいて指導・啓発を実施することとしています。
・違反行為をした場合には、職業安定法に基づく改善命令、改善命令に違反した場合には罰則の対象となる可能性があります(…)。
このように、採用選考の関係では、遺伝情報を収集してはならないという点について、罰則等を含め一連の法的手当や採用選考時に配慮すべき事項の周知・啓発等を実施しています。
Q2:採用後、ゲノム情報を取得して提出するよう(又はゲノム情報を取得したと会社で話したところ、ゲノム情報を提出するよう)、会社から求められました。求めに応じる必要はあるのでしょうか。
次に、採用後のゲノム情報の取得について。
厚労省は、次のとおり述べています。
・個人情報保護法においては、労働者の個人情報について、偽りその他不正の手段により取得することや、違法又は不当な行為を助長し、又は誘発するおそれがある方法により利用することはできず、また、労働安全衛生法に基づく健康管理のための情報として、労働者のゲノム情報を収集することもできません。
・このため、会社からの求めに応じる必要はなく、ゲノム情報を提出しないことを理由に、人事評価を低評価とするなどの不利益取扱をすることも不適切であると考えられます。
Q3:採用後、会社からゲノム情報の提出を求められ提出したところ、解雇されました。ゲノム情報を基に解雇することは問題ではないのでしょうか。
採用後に取得したゲノム情報をもとに、使用者が従業員を解雇することが許されるかどうかについて。
厚労省は、次のとおり述べています。
・労働契約法第16条においては、解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、権利を濫用したものとして無効になるとされています。
・問2の回答のとおり、会社からゲノム情報を提出するよう求められた場合、その求めに応じる必要はありません。しかし、ゲノム情報を提出してしまった場合に、会社がゲノム情報のみをもって解雇を行った場合、解雇の合理的な理由になるとは考えられず、一般的には解雇権の濫用に当たるとして無効になるものと考えられます。
・また、ゲノム情報に加え、その他の理由を根拠として解雇した場合であっても、ゲノム情報そのものは解雇の合理的な理由になるとは考えられず、その他の理由によって、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であると認められない限りは、解雇権の濫用に当たるとして無効になるものと考えられます。
・なお、問2の回答のとおり、労働安全衛生法に基づく健康管理のための情報として、労働者のゲノム情報を収集することはできません。
Q4:採用後、会社からゲノム情報の提出を求められ提出したところ、異動を命じられました。ゲノム情報を基に配置転換を命じることは問題ではないのでしょうか。
採用後に取得したゲノム情報をもとに、使用者が従業員に配置転換を命ずることが許されるかどうかについて。
厚労省は、次のとおり述べています。
・就業規則に配置転換を命ずることができる旨の定めがある場合でも、配置転換は無制限に認められるわけではなく、不当な動機・目的の有無や、配置転換命令の業務上の必要性とその命令がもたらす労働者の生活上の不利益とを比較衡量した結果により、配置転換命令が権利濫用に当たると判断され無効となる場合もあります。
・問2の回答のとおり、会社からゲノム情報を提出するよう求められた場合、その求めに応じる必要はありません。しかし、ゲノム情報を提出してしまった場合に、会社がゲノム情報のみをもって配置転換を行った場合、配置転換の合理的な理由になるとは考えられず、一般的には権利の濫用に当たるとして無効になるものと考えられます。
・また、ゲノム情報に加え、その他の理由を根拠に配置転換を行った場合であっても、ゲノム情報そのものは配置転換の合理的な理由になるとは考えられず、その他の理由によっても、不当な動機・目的が認められる場合や、業務上の必要性が認められないなどの場合には、配置転換命令が権利濫用に当たると判断され無効になるものと考えられます。
・なお、問2の回答のとおり、労働安全衛生法に基づく健康管理のための情報として、労働者のゲノム情報を収集することはできません。
Q5:採用後、会社からゲノム情報の提出を求められ提出したところ、昇格・昇給が止まりました。ゲノム情報を基に昇格・昇給に関する不利益な取扱いをすることは問題ではないのでしょうか。
では、採用後に取得したゲノム情報をもとに、使用者が従業員の昇格や昇給を決めることが許されるかどうかについて。
厚労省は、次のとおり述べています。
・一般論として、企業が労働者の能力や業績などを評価し処遇に反映する人事考課制度において、個々の労働者に対してどのような評価を行うかは、基本的には当該人事考課制度の中での裁量的判断となりますが、裁量権の濫用があってはなりません。
・問2の回答のとおり、会社からゲノム情報を提出するよう求められた場合、その求めに応じる必要はありません。しかし、ゲノム情報を提出してしまった場合に、ゲノム情報のみをもって、人事考課に不利益な取扱いをすることは一般的に裁量権の濫用に当たるとして、無効になるものを考えられます。
・また、ゲノム情報に加え、その他の理由を根拠として不利益な人事考課を行った場合であっても、評価前提事実の誤認がある、不当な動機がある、重要視すべき事項をことさら無視し、重要でない事項を強調するなどの場合には、裁量権の濫用として無効になるものと考えられます。
・なお、問2の回答のとおり、労働安全衛生法に基づく健康管理のための情報として、労働者のゲノム情報を収集することはできません。
Q6:配置転換や解雇などの不利益取扱いを受けた場合には、どこに相談すればいいのでしょうか。
最後に、使用者がゲノム情報をもとに従業員に対して不利益な取扱いをした場合について。
厚労省は、次のとおり述べています。
・配置転換や解雇などの不利益取扱いを受けた場合は、都道府県労働局及び労働基準監督署等に設置された総合労働相談コーナーにおいて相談を受け付けています。
ポイント
上記のQ&Aはやや細かく分類されており、分かりにくい点があったかもしれませんが、ポイントは大きく分けて3つです。
- 採用時にゲノム情報の提供を求めることは原則として許されない。(※ただし、「特別な職業上の必要性が存在することその他業務の目的の達成に必要不可欠であって、収集目的を示して本人から収集する場合」は例外的に許される)
- 採用後もゲノム情報の提供を求めることは許されない、
- 取得したゲノム情報をもとに解雇や配置転換を命じたり、昇格や昇給に関する不利益な取扱いをしたりすることは許されない。
弁護士にもご相談ください
いわゆる一般的な労働契約を締結するにあたり、会社が労働者のゲノム情報を取得しなければならない理由など通常は考えられません。
むやみに採用時や採用後に応募者や従業員からゲノム情報を取得しようとすることは危険です。労働安全衛生法に基づく健康管理のための情報として、労働者のゲノム情報を収集することはできませんので、特に注意してください。
仮に何らかの事情でゲノム情報を取得した場合であっても、極めて高度な個人情報であることを認識し、特に慎重に取り扱うようしましょう。
また、ゲノム情報の取扱いについてお悩みがある場合には、まず弁護士に相談してみることがおすすめです。
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