労働問題

マスク着用の指示に従わない従業員を解雇することは許されるか【近鉄住宅管理事件】【判例解説】

コロナウイルス感染症対策として、数年にわたりマスク生活を強いられました。

感染の拡大とともに、マスクが全国的に品薄となり、販売するドラッグストアに長蛇の列ができたり、高く転売されたりするなど、一時は大きな社会問題となりました。

政府がマスクの着用を個人の判断に委ねるとの見解を示した後も、習慣化していたせいか、なかなかマスクを手放すことができない日々が続きました。

そんなコロナ禍におけるマスクの着用をめぐり、会社の感染対策に従わなかったことを理由に解雇されてしまった従業員が、会社を訴えた事件がありました。

近鉄住宅管理事件・大阪地裁令和4.12.5判決

事案の概要

 Aさんは、平成26年10月から、賃貸マンションの管理等を業とするB社との間で雇用契約を締結し、マンションの管理員として勤務していました。

Aさん
Aさん

よろしくお願いします。

 B社は、令和2年4月7日から令和3年1月20日までの間、複数回にわたり、従業員に対してコロナウイルス対策を行うことを求める文書を発出していましたが、同年5月5日、マンションの住民から、Aさんがマンション内や通勤の際にマスクを着用していないため、マスク着用をお願いしたい旨の意見が寄せられました。

Aさん、マスクをしてください

B社
B社

 令和3年5月8日、Aさんはコロナウイルス陽性判定となり、就業制限を受けました。

Aさん
Aさん

コロナにかかってしまった…

その後、Aさんは、ホテル療養を経て、同月19日に就業制限が解除されたため、同年6月2日、B社はAさんと面談し、Aさんがマスクを着用していないことで住民から意見が出ていることなどの事情の下では、マンションでの勤務を継続させることが難しいとして、清掃員への労働条件の変更を打診しました。

Aさん、住人から苦情が出ているので、今後清掃員として働いて下さい。

B社
B社
Aさん
Aさん

それは困ります

Aさんは、同年6月11日、マンションの管理事務所から私物を引き上げましたが、B社から記入を求められた離職票については、これを拒否しました。

その上で、Aさんは、同月14日、B社に対し、勤務地の変更は受け入れるものの、マンション管理員から清掃員への勤務形態の変更は承服できない旨の文書を送付しました。

Aさん
Aさん

勤務地は変更しますが、清掃員になることはお断りします

 B社は、同年6月24日、Aさんに対し、コロナウイルス感染症対策のためのマスク着用の指示に従わずに居住者へ不安を抱かせる行為を行ったことなどを理由として、同年7月21日付けでAさんを普通解雇する旨の意思表示をしました。

Aさん、マスク着用指示に従ってもらえないので、普通解雇します。

B社
B社

 そこで、Aさんは、B社に対し、雇用契約に基づき賃金の支払いを求めるとともに、解雇により人格的利益を違法に侵害されたとして、慰謝料等の支払いを求めたという事案です。

争点

本件の争点は、①AさんとB社との間に退職合意があったか否か、②B社によるAさんの解雇が解雇権の濫用に当たるか否か、また、③B社によるAさんの解雇が不法行為上の違法な行為に当たるか否かです。

本判決の要旨

①AさんとB社との間に退職合意があったか否かについて

 B社は、令和3年6月3日にAさんと電話をした際に、退職合意が成立したと主張していました。

もっとも、Aさんが同月11日にB社から離職票の交付を受けたものの、その記入を拒否したという事実からすると、Aさんには退職の意思がなかったことがうかがわれる。

また、仮にAさんが電話で退職の意向を示したと認識されるような発言をしていたとしても、労働者にとって退職の意思表示をすることは生活に重大な影響を及ぼすものであり、口頭での発言をもって、直ちに確定的な退職の意思表示であると評価するかについては慎重な検討が必要であるところ、Aさんがその後に勤務地の変更は可能だが勤務形態の変更は承服しかねる旨の書面を送付している等の事情に照らすと、Aさんの発言をもって確定的な退職の申出があったと評価することは相当ではない。

したがって、AさんとB社との間で退職合意が成立したとはいえないと判断されました。

裁判所
裁判所

②B社によるAさんの解雇が解雇権の濫用に当たるか否かについて

➤解雇理由ⅰ(コロナウイルス対策のためのマスク着用という指示に従わず、居住者に不安を抱かせる行為を行ったこと)について

たしかに、Aさんは、本件マンションで管理員として業務遂行する際や通勤の際に日常的にマスクを着用していなかったことがうかがわれ、使用者であるB社からの業務指示に従っていなかったことになる。

しかし、Aさんが過去に同様の行為について注意を受けていたという事情はないこと、現実にB社に寄せられた苦情は1件にとどまっていること、本件マンションの住民あるいはB社内部においていわゆるクラスターが発生したというような事情もないことからすれば、一連のAさんの行動をもって、Aさんを解雇することが社会通念上相当とまではいえない。 

➤解雇理由ⅱ(住所変更の届出を怠り、通勤手当を不正受給したこと)について

 たしかに、Aさんは、B社に対し、転居の事実(通勤経路の変更)を申告しなければならなかったため、申告をせずに従前どおりの通勤手当を受給したことは不正受給となる。

 しかし、Aさんが通勤経路を正確に申告していなかった点は、当初から実態と異なる通勤経路を申告していなかったものではなく、勤務期間途中で転居したことで通勤経路が変更になったものであること、Aさんがことさらに転居の事実を秘して差額の受給を受けることを意図していたことをうかがわせる証拠はないこと、不正受給の額も合計3万円弱にとどまっていることなどからすれば、通勤手当に関するAさんの行動をもって、Aさんを解雇することが社会通念上相当であるとまではいえない。

➤まとめ

したがって、B社によるAさんの解雇は解雇権を濫用したものとして無効であると判断されました。

③B社によるAさんの解雇が不法行為上の違法な行為に当たるか否かについて

Aさんは、B社が違法な配転(労働条件変更)を迫り、配転を拒否すれば自主退職しかないと迫ったことや、配転を拒否したところ解雇されたことは、違法な行為である旨主張していました。

しかし、B社が違法な配転を迫ったことを的確かつ客観的に裏付ける証拠はなく、社会通念上相当性を欠く態様で執拗に配転に応じるように迫ったことをうかがわせる事情もないこと、また、B社から配転命令が発令されていたものと仮定しても、同命令について、不法行為法上、違法な行為であるとまでは評価することができない。

したがって、B社によるAさんの解雇が、不法行為法上、違法な行為であるとまでは評価することができないと判断されました。

解説

 本件は、会社の規律違反を理由とする普通解雇の有効性が争われた事案であり、コロナウイルスの流行による感染症対策としてB社から要求されていたマスク着用をAさんが怠ったことが解雇理由の一つとされていました。

本件当時のコロナウイルス感染症の流行の状況によれば、B社がAさんら従業員に対してマスク着用を命じるという業務指示は有効なものであり、これに従わないAさんの行為は業務指示違反(規律違反)行為に該当するといえます。

もっとも、労働契約法16条は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない場合には解雇権の濫用となることを定めており、規律違反行為があったからといって、直ちに解雇が有効になるわけではありません。業務指示の内容や違反の態様、生じた結果などの諸般の事情を考慮して、解雇の有効性が検討されます。

この点について、裁判所は、B社がAさんに対して、過去に同様の行為について注意をしておらず、Aさんに対する注意が一度だけであったことなどを理由に解雇が社会通念上相当とはいえず、解雇権の濫用として無効であるとの結論に至っています。

このような判断に照らすと、会社としては、従業員の規律違反行為がある場合には、より頻度を上げて、規律を守るように注意するなどの行動をとっておくべきことがわかります。

他に解雇の有効性が争われた事案として、近畿車輛事件クレディスイス事件札幌国際大学事件などを紹介していますので、ご覧ください。

弁護士
弁護士

解雇権濫用と言われないためには、少なくとも注意の頻度や指示の内容が重要です

従業員が会社の業務指示に違反する行為を行っている場合には、まずは十分な注意・指導を行い、改善や反省の機会を与えた上で、従業員の態度に変化がみられるのか否かを慎重に見極めつつ、段階的に処分をしていくことが肝要といえるでしょう。