定期昇給の労使慣行が認められるか?【学校法人和洋学園事件】
- 当社は、川崎市で産業機器メーカーを営んでおります。当社の就業規則や賃金規程には定期昇給に関する規定はありませんが、これまで設立以来、30年以上定期昇給を続けておりました。ところが昨今の原材料高の影響で赤字が続きそうです。従業員は定期昇給を期待していると思いますが、やめることは可能でしょうか。
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- 労使関係のなかで、明確な合意がなくとも永年続いてきた慣行が法的拘束力を持つことがあります。これを「労使慣行」といいます。
労使慣行が成立するためには、その慣行が①長期にわたり反復継続されてきたこと、労使双方が慣例に対して規範意識を持って従ってきたこと、③事実上の行為準則として機能していること、④当事者が明示的にこれを排除していないことが要件とされています。永年続けてきたというだけでは、拘束力のある労使慣行とまではいえず、やめることも可能です。もっとも、その場合であっても、労使間で真摯な話し合いを行う必要はあるでしょう。
詳しくは弁護士にお尋ねください。
- 労使関係のなかで、明確な合意がなくとも永年続いてきた慣行が法的拘束力を持つことがあります。これを「労使慣行」といいます。
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労使慣行とは
明文の規定がなくても労使間に適用されるルールがあります
会社で労働者が従うべきルールは、労働基準法、労働契約法をはじめとする法律や、就業規則、労働協約といった定めなど、明文化されたものがほとんどです。
しかし、会社の中では、明文化されていないものの、事実上、拘束力を持っている不文のルールが存在していることがあります。
このようなルールは、概ね反復継続して適用されていることから、労使間の慣行であるとして、「労使慣行」と呼ばれます。
労使慣行には2つのタイプがあります
労使慣行には、2つの類型があります。
《明確な定めがないタイプ》
1つ目は、就業規則などにおいて明確な定めがないにもかかわらず、会社が労働者に対する一定の取り扱いを継続しているケースです。
例えば、就業規則や労使協約に“賞与の支払い”に関する規定はないものの、会社が20年以上も前から、全従業員に対して、賃金の◯か月分に相当する賞与を支給し続けてきた場合などです。
《明確な定めに抵触するタイプ》
2つ目は、就業規則などにおいて明確な定めがあるにもかかわらず、会社が労働者に対して、この定めとは異なる取り扱いをしてきているケースです。
例えば、就業規則では“17時”が終業時間とされているにもかかわらず、会社が20年以上も前から、従業員に対して、“16時30分“に作業を終了して洗身入浴をすることを認めていた場合などです。
成立には4つの要件が挙げられています
では、労使慣行はどのような場合に成立するのでしょうか。
この点、具体的な要件については明確な定めはありません。
これまでの裁判例によれば、
- 長期にわたり反復継続されてきたこと
- 労使双方が慣例に対して規範意識を持って従ってきたこと
- 事実上の行為準則として機能していること
- 当事者が明示的にこれを排除していないこと
の4つの要件が挙げられていることが多くあります。
労使慣行が認められると契約の内容になることがあります
労使慣行の成立が認められた場合、その労使慣行が事実たる慣習といえる程度のものであれば労働契約の内容となります。そのため、労使間の労働契約の権利義務を決定する慣行となります。
他方、事実たる慣習といえる程度のものでないものについては、労働契約解釈の基準となるにとどまると解されています。
ルールは明文化を心がけましょう
労使慣行の成否が争われた場合、裁判所は基本的に厳格に判断をする傾向にあります。
ただし、仮に労使慣行の成立が認められ、それが事実たる慣習といえる程度のものであった場合には、上述のとおり、労働契約の内容になり得ます。
したがって、使用者としては、安易に不文のルールを慣習として継続することなく、ルールはできる限り明文化し、その明文のルールに沿って運用するように心がけることが大切です。

裁判例のご紹介(学校法人和洋学園事件・東京高裁令和6年4月25日判決)
さて、ここからは、「定期昇給について労使慣行が認められるか?」が争われた裁判例(学校法人和洋学園事件)をご紹介します。
どんな事案?
本件は、Y法人において教員であるXさんらが、労働契約または労使慣行によりY法人は定期昇給および特別昇給を行う義務を負っていたにもかかわらず、平成28年度から令和元年度までの定期昇給および特別昇給を行わなかったとして、Y法人に対して、定期昇給および特別昇給が行われていた場合の賃金・賞与と実際に支払われた賃金・賞与との差額の支払いなどを求めた事案です。
何が起きた?
当事者
Y法人は、高等学校や中学校等を設置・運営する学校法人でした。
Xさんらは、遅くとも平成28年度からY法人の運営する和洋九段女子高等学校、和洋九段女子中学校(九段校)において、教員として勤務していました。
Y法人の給与規程の定め(定期昇給)
Y法人の給与規程には、定期昇給について、
「定期昇給は、就職の日から1年以上経過した者について、予算の範囲内において毎年4月に行う。昇給期間は、原則として12か月とする。ただし、欠勤日数の多い者、勤務成績が良好ではないと認められた者、和洋学園懲戒規程5条2号停職又は3号降格・降職に該当する行為があった者については定期昇給を行わないことがある」
と定められていました。
Y法人の給与規程の定め(特別昇給)
また、Y法人の給与規程では、特別昇給について、
「特別昇給は、勤務成績が特に良好と認められた者その他特に功績があると認められた者について行う」
と定められていました。
定期昇給・特別昇給の実施
その後、Y法人においては、平成27年度以前の少なくとも35年にわたり定期昇給が実施されてきました。
また、特別昇給を行う場合、Y法人では、勤続10年ごとの節目に該当する教員に対して、永年勤続表彰として1号俸の特別昇給を実施していました。
定期昇給・特別昇給の停止前の経緯
定期昇給について、Xさんらが加盟する和洋九段女子中学校・高等学校教職員組合(本件組合)は、遅くとも昭和50年以降、定期昇給および特別昇給を行うことなどを要求していました。
これを踏まえて、Y法人は理事会等で予算を検討したうえで回答し、定期昇給および特別昇給を行うことを妥結していました。
実際に、昭和50年から平成27年までの間において、当該年度の予算状況から定期昇給および特別昇給を実施しない可能性が示唆されたことはあったものの、本件組合からの抗議等を受けて、定期昇給および特別昇給が実施されていました。
定期昇給・特別昇給の廃止
本件組合は、平成28年1月14日付の文書によって、同年度の定期昇給および特別昇給について規定通り行うことを要求しました。
ところが、Y法人は、九段校が大幅な赤字を続けている状況を考えると、要求通りの回答はできないと述べ、定期昇給および特別昇給の廃止を決定しました。
再度の要求
本件組合は、平成29年6月22日付の文書によって、同年度について定期昇給および前年度分の昇給分支払いの実施を要求しました。
もっとも、Y法人は、定期昇給を行うことはできない旨を回答し、平成28年度、平成29年度の定期昇給および特別昇給は行いませんでした。
そして、Y法人は、令和元年度まで同様に定期昇給および特別昇給を行いませんでした。
訴えの提起
そこで、Xさんらは、労働契約または労使慣行によりY法人は定期昇給および特別昇給を行う義務を負っていたにもかかわらず、平成28年度から令和元年度までの定期昇給および特別昇給を行わなかったとして、Y法人に対して、定期昇給および特別昇給が行われていた場合の賃金・賞与と実際に支払われた賃金・賞与との差額の支払いなどを求める訴えを提起しました。

争われたこと
Xさんが主張していたこと
Xさんらは、労働契約または労使慣行の存在により、Y法人は定期昇給および特別昇給を行う義務があると主張していました。
問題になったこと
そこで、本件では、“定期昇給および特別昇給を行うとの労使慣行が存在したかどうか?“ などが問題になりました。
※本解説記事では、労使慣行の成否に着目して解説します。
裁判所の判断
裁判所は、定期昇給および特別昇給の実施は、(労働契約の内容になっておらず、また、)労使慣行が存在していたとはいえないとして、Xさんらの請求が認められないと判断しました。
判断のポイント
では、裁判所はなぜ上記のような判断をしたのでしょうか?
労使慣行の成立要件とは
まず、裁判所は、法的効力のある労使慣行が成立していると認められるための要件として、以下の3点を挙げました。
- 同種の行為又は事実が一定の範囲において長期間反復継続して行われていたこと
- 労使双方が明示的にこれによることを排除・排斥していないこと
- 当該慣行が労使双方の規範意識によって支えられていることを要し、使用者側においては、当該労働条件についてその内容を決定し得る権限を有している者か、又はその取扱いについて一定の裁量権を有する者が規範意識を有していたこと
本件組合とY法人の労使交渉の経緯
その上で、裁判所は、
- ・本件組合とY法人との間の労使交渉の過程において、「定期昇給」および「特別昇給」の文言が明示されていたこと
- ・過去にY法人が永年勤続者に対する特別昇給を行わない方針を示した際の本件組合側の抗議書などには、10年勤続するごとに特別昇給を行うことが本件組合の基本姿勢であり、団体交渉の場で議論としてきた旨、それまで実施されてきた各10年勤続の特別昇給は、全てが本件組合の長年の活動によるものである旨が記載されていること
- ・過去に本件組合のY法人に対する要求書およびこれに対するY法人からの回答に、定期昇給および特別昇給を行うことが明示されていたこと
- ・過去の本件組合とY法人との間の妥結協約書に定期昇給および特別昇給を行う旨が明示されていたこと
- ・本件組合発行の平成23年6月2日付組合ニュースには、定期昇給および特別昇給を例年通り行うことについて妥結することが決まった旨が掲載されていること
を指摘し、これらの経緯に鑑みれば、「定期昇給や特別昇給について、例年、本件組合とY法人との間の労使交渉の対象とされ、労使交渉の結果、その都度認められてきたものであって、これが、当然に行われるものであるとの認識を本件組合が有していなかった疑いが十分にある」と示しました。
労使慣行は成立していない
そして、裁判所は、上記の判断を踏まえれば、「定期昇給及び特別昇給が当然に行われるものとして労使双方の規範意識によって支えられてきたものであるとは認め難く、これが労使慣行になっていたということはできない」と判断しました。
結論
したがって、裁判所は、定期昇給及び特別昇給の実施について、XさんらとY法人との間で労使慣行が成立していたとは認められないことから、Xさんらの請求は認められないと判断しました。
規範意識によって支えられていたかどうかが重要
今回ご紹介した裁判例では、35年にわたり続いていた定期昇給及び特別昇給について労使慣行が認められるかどうかが争われました。
本判決は、従前の裁判例と同様に、労使慣行の成立要件として3つの点を挙げた上で、事実認定を行なっています。

たしかに、Y法人における定期昇給及び特別昇給は35年という長きにわたり継続して行われていたものでした。
他方で、本判決は、この定期昇給や特別昇給は、本件組合とY法人との間の労使交渉の結果、その都度認められてきたものであることに照らせば、かかる昇給が、当然に行われるとの労使双方の規範意識によって支えられてきたとはいえないと判断しています。
このように労使慣行の成否の検討においては、「当該慣行が労使双方の規範意識によって支えられていること」(要件③)という規範意識の点によく注意が必要です。
弁護士にもご相談ください
従来、労使慣行の成立は厳しく判断されてきており、簡単に認められるものではありません。
しかしながら、仮に労使慣行として成立していると判断された場合には、労働契約の内容として、使用者は拘束されることにもなりかねません。
労使紛争を避ける観点からは、労使間のルールを可能な限り明文化し、双方にとっての認識を明かにしておくことが大切です。
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