労働問題

賃金の消滅時効期間と権利濫用【足利セラミックラボラトリー事件】

民法改正に伴い、労働者の賃金の請求権の時効期間が変わったと聞きました。この点について使用者として注意するべきことはありますか?
これまでは、労働者の賃金請求権は2年とされていました。未払い残業代も、過去2年間に遡って請求されるケースがほとんどでした。民法改正に伴って、2020年4月1日以降に支払期日が到来する労働者の賃金請求権については5年(ただし当面の間は3年)に延長されました。改正民法施行からすでに5年になろうとしていますので、今後請求される未払い残業代は少なくとも3年は遡って請求されることになり、経営に対する打撃もかなり大きくなります。
また、労働者に対して、賃金請求を放棄させようとしたり、権利の行使を妨げるような事情があると、消滅時効の主張自体が権利濫用として許されないと判断されるケースも出てきました。
労務管理は弁護士に相談しながら慎重に行いましょう。

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賃金請求権の消滅時効とは

民法の定め

消滅時効とは、権利者が法律で定められた一定の期間、権利を行使しないことによって、権利を消滅させる制度です。
権利の上に眠る者は法の保護を受けるに値しない、という考え方に基づいています。

令和2(2020年)4月1日から施行された改正民法により、債権は、次に掲げる場合、時効により消滅することになります。

 主観的期間(民法166条1項1号客観的期間(民法166条1項2号
起算点権利を行使ことができることを知った時から権利を行使できる時から
期間5年10年

なお、所有権や所有権に基づく物件的請求権、登記請求権、譲渡担保を設定した債務者の受戻権など、消滅時効にかからない権利もあります。

賃金の消滅時効とは

賃金請求権も時効により消滅する

雇用契約とは、労働者が使用者に対して労働に従事することを約し、使用者がこれに対して報酬(賃金)を支払うことを約する契約です。そのため、雇用契約において、賃金の支払いは、使用者が負っている非常に重要な義務です。

しかし、賃金請求権も同様に権利であるため、時効により消滅することがあります。

賃金請求権の消滅時効期間は5年(当面は3年)

従来、賃金請求権は、労働基準法により「2年」の消滅時効期間が定められていましたが、民法改正に伴い、労働基準法の見直しも行われました。

これにより、令和2(2020年)4月1日以降に支払期日が到来する全ての労働者の賃金請求権の消滅時効期間は、賃金支払期日から「5年」に延長されました(労働基準法115条)。
ただし、当面の間は「3年」とされています(附則(令和2年3月31日法律第13号)第2条)。

退職金請求権の消滅時効期間は5年

時効期間の延長の対象は、以下のとおりです。

退職金請求権(5年)などの消滅時効期間は変更されていません。

その他の労基法の改正点もあわせてチェック

なお、上記の労基法の改正に伴い、賃金請求権の消滅時効期間だけでなく、賃金台帳などの記録の保存期間や付加金の請求期間も延長されています。あわせて確認しておきましょう。

賃金台帳などの記録の保存期間

記録の保存期間は5年

従来、事業者が保存すべき賃金台帳などの記録の保存期間は「3年」とされていましたが、労基法の改正により「5年」に延長されました(労基法109条)。
ただし、当面の間は「3年」とされています(附則(令和2年3月31日法律第13号)第2条)。

保存期間延長の対象は賃金台帳など

保存期間延長の対象は、賃金台帳などをはじめとする以下の記録です。

賃金の支払期日が遅い場合には支払期日が起算日に

なお、上記②、⑥、⑦、⑧の記録に関する賃金の支払期日が、記録の完結の日などより遅い場合には、当該支払期日が記録の保存期間の起算日となることが明確化されています。
したがって、4月分の賃金計算期間が、4月1日~4月30日であるとして、タイムカードの完結の日が4月30日であり、5月15日が4月分の賃金支払期日であった場合には、記録の保存の起算日は後者の方(5月15日)になります。

付加金の請求期間

付加金とは

付加金とは、裁判所が、労働者の請求により、事業主に対して未払賃金に加えて、支払いを命ずることができるものです(労基法114条)。

付加金の請求期間は5年

従来、付加金の請求期間は「2年」とされていましたが、労基法の改正により「5年」に延長されました(労基法114条)。
令和2(2020)年4月1日以降に割増賃金等の支払いがされなかったなどの違反があった場合には、付加金を請求できる期間が5年となります(労基法114条)。
ただし、当面の間は「3年」とされています(附則(令和2年3月31日法律第13号)第2条)。

付加金制度の対象

付加金制度の対象は、割増賃金などをはじめとする以下のものです。

各種期間のまとめ

賃金請求権の消滅時効期間などをはじめとする各期間のまとめは以下のとおりです。

各種期間旧法現行法
賃金請求権の消滅時効期間(労基法115条2年5年(当面の間は3年)
記録の保存期間(労基法109条3年5年(当面の間は3年)
付加金の請求期間(労基法114条2年5年(当面の間は3年)

消滅時効期間や記録の保存期間などいずれも延長されていますので、使用者の方は注意しておきましょう。

足利セラミックラボラトリー事件・仙台高裁令和5年11月30日判決

さて、今回は、「労働者の賃金請求権などが時効により消滅した!」という使用者側の主張が許されないとの判断が示された足利セラミックラボラトリー事件についてご紹介します。

事案の概要

本件は、Y社との間で雇用契約を締結しているXさんが、合意された基本給の支払いがされていない、残業代の未払いがある、違法な配転命令などのパワハラを受けたと主張して、未払賃金などの支払いを求めた事案です。

事実の経過

Xさんの応募とY社の採用内定

Xさんは、平成29年3月に香川県の歯科技工士専門学校を卒業しました。
Xさんは、就職活動中にY社の本件求人票をみて、Y社の採用試験に応募し、歯科技工の実技試験を含む採用試験を経て、平成28年9月、採用内定通知を受けました。

求人票の記載

Y社の本件求人票は、歯科技工士の求人票であり、「賃金」の欄のほか、「時間外手当」の欄がありました。

Xさんの勤務と配転命令

Xさんは、Y社に入社した後、群馬県太田市所在のY社の本社において、歯科技工士として勤務していました。
ところが、平成30年7月27日、Y社は、Xさんに対して、同年8月21日付で先代事業所への配転を命じました(本件配転命令1)。
また、Y社は、同年10月1日、同月10日付での仙台事業所A部への配転を命じました(本件配転命令2)。

本件訴えの提起

これに対して、Xさんは、令和2年6月、合意された基本給の支払いがされていない、残業代の未払いがある、違法な配転命令などのパワハラを受けたと主張して、未払賃金などの支払いを求める訴えを提起しました。

Y社による消滅時効の援用

Y社は、令和2年9月の答弁書において、Xさんの請求する未払いの基本給および残業代のうち、平成29年4月支払分から平成30年5月支払分までのものについて、消滅時効を援用する旨の意思表示をしました。

争われたこと(争点)

本件においては、
・Xさんの未払賃金請求権が認められるかどうか
・Y社によるパワハラがあったかどうか(不法行為の成否)
などが問題となりました。

本解説ページでは、“ Xさんの未払賃金請求権が認められるかどうか ”に焦点を当てて、裁判所の判断の内容をご紹介します。

本判決の判断

本判決は、Xさんの主張の通り、基本給を17万円とする合意があったものと認めたうえで、Y社による消滅時効の援用については、権利濫用であるとして、Y社が消滅時効を主張することは許されないと判断しました。

Xさんの基本給は17万円である

Y社は、本件において、時間外労働にかかる割増賃金(3万7000円)を含めて基本給を17万円とする旨の合意があったと主張していました。

しかし、本判決は、

  • ・本件求人票には賃金について「基本給与」17万円と記載されていること
  • ・Xさんがメールを確認したときも17万円に固定残業代として3万7000円が含まれているとの説明はなかったこと
  • ・これと異なる内容の雇用契約書や労働条件通知書は作成されていないこと
  • ・入社後には「基本給」の名目で月額13万3000円、「超過勤務手当」の名目で月額3万7000円が支給されていたこと

などを指摘して、Xさんの基本給を17万円とする合意があった(=Y社の主張は認められない)と判断しました。

消滅時効の主張は許されない

また、Y社は、Xさんの賃金請求権は時効により消滅した(消滅時効を援用する旨の意思表示)と主張していました。

しかし、本判決は

  • ・Y社が、「基本給が17万円という労働契約を締結したはずではないかと求人票を信頼した主張をするXさんに対し、顧問の社会保険労務士を使って会社の主張を暗黙のうちに承認させようと説得を試みたり(…)Y社代表者において、Y社の主張に沿った雇用契約書に署名しないと勤務できなくなると脅したりして会社の主張を追認させようとするなど、Xさんの権利の行使を妨げてきた」こと
  • ・「求人票に記載した「基本給与」に固定残業代が含まれるなどという欺瞞的な方法により、求人票を信頼した労働者に対し、求人票の記載と明らかに異なる定額の基本給による労働契約の成立を主張し、その差額の基本給の支払を求め続けてきた労働者の権利行使を様々な手段を通じて妨害してきたY社が、入社直後から権利主張を続け、入社3年後には本件訴えを提起したXさんに対し(…)改正前労働基準法115条に基づいて、2年の期間の経過による消滅時効を援用して権利の消滅を主張することは、労働契約上の信義に反し、権利の濫用に当たる」こと

などを指摘し、Y社の消滅時効の主張は許されないと判断しました。

結論

よって、裁判所は、基本給部分について未払額として133万3545円の請求(平成29年4月支払分から令和2年6月支払分)を認めています。

ポイント

事案のおさらい

本件は、Y社との間で雇用契約を締結しているXさんが、合意された基本給の支払いがされていない、残業代の未払いがある、違法な配転命令などのパワハラを受けたと主張して、未払賃金などの支払いを求めた事案でした。

何が問題になったか

本件では、Y社側が賃金請求権の消滅時効を援用する旨の意思表示をしていたことから、かかるY社の主張が許されるかどうかが問題となっていました。

本判決のポイント

この点、従前の裁判例(酔心開発事件・東京地裁令和4年4月12日判決)においては、故意に割増賃金の支払いを怠っていた被告会社が消滅時効を援用するのは権利の濫用であるとの原告労働者の主張に対して、消滅時効制度は故意に義務の履行を怠っていたものを時効の援用権者から排除する仕組みをとっておらず、全証拠を検討しても、被告会社が権利行使をことさらに妨げたとも認められないことからすると、消滅時効の援用について権利濫用には当たらないと判断されていました。

これに対して、本判決においては、具体的なY社のXさんに対する対応方法やXさんが入社から一貫して基本給額について争ってきたという事情などを踏まえたうえで、Y社による消滅時効の援用が権利濫用に当たると判断している点で非常に参考になります。

使用者側としては、「時効を援用すればもう大丈夫!」などと思いたくなるかもしれませんが、事案の経過によっては、時効消滅の主張が権利濫用として認められないこともある、という点には注意が必要です。

弁護士にもご相談ください

使用者と労働者との間の紛争の中で特に多いのが、未払い賃金や残業代制請求に関する問題です。労使間に紛争が生じた場合、使用者が適時に然るべき対応をとっておかいないと、会社内で同じような請求が後を経たなくなるという恐れもあります。
会社が、従業員から、残業代の請求を受けたとき、労働条件に疑義を述べられたときßなどは、いわば会社の風潮をガラッと変える大きな転機ともなります。

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自社だけでなんとか片付けてしまおうと考えるのではなく、まずは弁護士に初期対応の進め方などについて具体的に相談しておくことがおすすめです。