法律コラム

賃貸借契約において賃料支払を拒絶できる場合があるか?

賃貸借契約とは、賃貸人が賃借人に対して、特定の物を使用収益させることを約束して、賃借人がこれに対して賃料を支払うこと、契約が終わったときには引き渡しを受けた目的物を返還することを約束することを約束することによって成立する契約です(民法601条)。
なお、「賃貸借契約」というと、不動産を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、賃貸借契約は不動産以外でも成立します。

また、賃貸借契約では、賃貸人と賃借人にそれぞれ履行しなければならない義務があります。
たとえば、賃貸人側では、賃貸借契約に基づき、賃借人に対して目的物を使用収益させる義務や目的物を修繕する義務、目的物から生じる賃借人の生命等を保護するための適切な措置をとる義務などを負います。
他方、賃借人側では、賃貸借契約に基づき、賃貸人に対して約定の賃料を支払う義務や契約等により定められた使用方法を遵守する義務、善良な管理者の注意をもって目的物を保護する義務を負います。

今回は賃借人が賃料の支払い義務の履行を怠ったとして、賃借人が不動産賃貸借契約を解除したところ、賃借人が信義則上、解除が認められないと主張して争った事件を取り上げます。

(なお、賃貸借契約に関するコラムは他にもございますのでご覧ください)

建物明渡等請求事件・東京地裁立川支部令和6年6月21日判決

事案の概要

建物「C」を所有するX社が、同建物の一室を賃借し、同室に居住していたYさんに対して、賃料等を支払わず、滞納賃料催告兼契約解除通知書を送付しても支払いがなされなかったとして、Yさんの債務不履行による賃貸借契約解除に基づき未払賃料等の支払いを求めた事案です。

事実の経過

賃貸借契約の締結

X社は、本件建物「C」を所有していました。
そして、平成23年6月28日、X社は、Yさんとの間で賃貸借契約を締結し、Yさんに対して、本件建物の一室を貸し渡しました。
そして、Yさんは、この部屋に居住するようになりました。
なお、本件賃貸借契約の内容は以下のとおりでした。

賃貸借契約の更新

その後、X社とYさんは、初回の契約期間経過後も、同内容で本件賃貸借契約を更新しました。

Dさんによる本件建物への立ち入り

令和2年2月10日頃、X社の取締役の一人であるDさんは、Yさんに対する事前の通知なく、マスターキーを用いて、本件建物に立ち入りました。立ち入った理由についてDさんは、水漏れの検査のために緊急に行ったものだと説明しています。また、Yさんによれば、このときDさんに自分の全裸を目撃されたとのことです。

Yさんによる賃料不払

これに対して、Yさんは、X社に対し、令和5年5月分以降の賃料等の支払をしなくなりました。

X社による解除の意思表示等

X社は、Yさんに対し、令和5年7月7日付け滞納賃料催告兼契約解除通知書を送付し、上記書面到達日の翌日から1週間以内に、未払賃料等25万2000円を支払うよう求めました。
上記書面は、同月11日、Yさんの下に到達しました。
しかし、Yさんは、X社に対し、同月18日までに支払いませんでした。

訴えの提起

そこで、X社は、これに伴い、Yさんに対し、未払賃料等及び明渡遅滞による損害金の合計額として、109万7910円の支払いを求める訴えを提起しました。
なお、Yさんは、X社に対し、令和6年3月7日、本件建物の鍵を返却して明け渡しました。

また、X社の上記請求に対し、Yさんは、X社の取締役であるDさんがYさんに無断で当該建物に侵入し、Yさんの全裸を見たことにより、
・X社による賃貸借契約に基づく賃料支払請求権や解除権が制限される
・X社はYさんに対して既払の賃料相当額に関する不当利得返還債務や不法行為に基づく損害賠償債務を負っているため、YさんのX社に対する賃料支払債務と対当額で相殺する
と主張し、X社の請求を争いました。

争点

本件では、①信義則によりX社の賃料支払請求権及び解除権行使が制限されるか、また、②Yさんの相殺の抗弁が認められるか否か、が争点となりました。

本判決の要旨

争点①信義則によるX社の賃料支払請求権及び解除権行使の制限の可否

賃借人Yさんの義務

賃貸借契約においては、賃貸人は、賃借人に対して目的物をその用法に従って使用・収益させる義務を負い、これに対して賃借人は、賃貸人に対して賃料を支払う義務を負うものである。
本件において、賃貸人であるX社は、賃借人であるYさんに対し、本件建物に居住させる義務を履行しているから、YさんのX社に対する賃料支払義務が消滅するとは認められない。

Yさんの主張について

Yさんは、X社の取締役であるDさんが無断で本件建物に侵入し、全裸のYさんに遭遇したことをもって、X社が安心安全に居住させる義務を履行していない旨主張するが、賃貸人が賃借人に対して上記のような義務を負うことの根拠が判然とせず、賃貸人に過度な義務を負わせることになりかねない上、Yさんが主張する無断侵入は、別途不法行為を構成しうるものであって、賃貸借契約上の双方の義務に影響を及ぼすという関係には直ちにはならない。

小括

したがって、Yさんの主張は採ることができず、本件において、X社のYさんに対する賃料支払請求権及び解除権の行使が制限されるとはいえない。

争点②Yさんの相殺の抗弁の成否

X社のYさんに対する不当利得返還債務との相殺について

前記のとおり、YさんのX社に対する賃料支払義務が減額されたり消滅したりするとは認められないから、YさんがX社に対して、既に支払済みの賃料について不当利得返還請求権を有するとは認められない。
したがって、YさんのX社に対する賃料支払債務とX社のYさんに対する不当利得返還債務の相殺の抗弁は認められない。

X社のYさんに対する不法行為に基づく損害賠償債務との相殺について
▶︎Dさんが立ち入ったが不法行為に該当するか

本件において、Dさんは、令和2年2月10日頃、Yさんに事前の通知をすることなく、同人の承諾のないまま、マスターキーを用いて本件建物の玄関内に入ったことは、当事者間に争いがないものと認められる。
そして、X社は、Dさんの上記行為について、本件建物と同階の部屋の居住者から水漏れの連絡があり、他の部屋も同じ構造なので見た方がよいと言われて、水道業者を連れて行ったものであり、あらかじめYさんの承諾を得る必要のない緊急の必要がある場合に該当する旨主張し、Dさんも概ねこれに沿う供述をする。
しかし、Dさんの供述によっても、当該近隣の部屋における水漏れは、台所の採光用の窓である廊下側の出窓部分に水がしみ出ていたというものであり(…)、その状況そのものから居住者の予めの許可なく室内に立ち入る必要があるほどの緊急性は認め難い。しかも、当該近隣の部屋について、同行していたという水道業者が何らかの措置を行ったのか判然とせず、他の部屋を確認することについて、上記水道業者ではなく当該近隣の部屋の居住者の意見に従ったことは安易な判断と捉えられてもやむを得ないところである。
これらの事情からすれば、Dさんがマスターキーを用いてYさんの承諾なく本件建物の玄関内に入った行為は、Yさんに対する不法行為を構成するものと認められる。

▶︎Yさんの主張について

もっとも、侵入行為に加え、Dさんが全裸の状態のYさんを目にしたことについては、仮にそのような事実が認められるとしても、これが不法行為に該当するとは認められない(…)。

▶︎Yさんの損害

そこで、次に、Dさんが予めYさんの承諾なく本件建物内に入ったという不法行為について、Yさんに損害が生じているかを検討する。
前述のとおり、Dさんが予めYさんの承諾を得ることなくマスターキーを用いて本件建物内に入ったことについて、緊急性があったとまでは認められない。
その一方で、Dさんが許可なく入ったと証拠上認められるのは、本件建物の玄関内までであり、その後は、(…)承諾を得た上で台所まで入っているというのであるから、損害としては、承諾なく玄関内まで入られたことに限られるというべきである。
そして、Dさんが本件建物の玄関内に足を踏み入れたとき、Yさんは脱衣所にいたもので、Dさんの侵入場面を直接目撃したわけではない。加えて、Yさんはその後も本件建物に居住し、令和5年4月分までの賃料を、特段異議を述べることもなく支払い続けていたものであって、本件建物1階にはX社の事務所があり、Dさんも同所に出入りしていたこと(…)も併せ鑑みれば、Yさんが、Dさんの行為により、金銭による慰謝が必要であるほどの精神的苦痛を被ったとまでは認め難いといわざるを得ず、他のこれを認めるに足りる的確な証拠も見当たらない(…)。

結論

そして、Yさんは、X社の賃料支払請求権や解除権が制限されるなどと主張するものの、X社が主張する未払賃料等の客観的な金額については特段争っていないものと認められる。
よって、X社の本件請求は理由があるから認容することと(…)する。

ポイント

どんな事案だったか

本件は、X社から建物の一室を借りて住んでいたYさんが、賃料等を支払わなかったことから、Yさんとの間の賃貸借契約を解除し、Yさんに対して、未払賃料等及び明渡遅滞による損害金の支払いを求める訴えを提起した事案でした。

Yさんの反論

これに対して、Yさんが、X社の取締役であるDさんがYさんに無断で建物に侵入して、Yさんの全裸を見たことによって、信義則上、X社による賃貸借契約に基づく賃料支払請求権や解除権が制限されるなどと主張し、X社の請求を争いました。

裁判所の判断

もっとも、裁判所は、賃貸借契約において、賃貸人は、賃借人に対して目的物をその用法に従って使用・収益させる義務を負い、これに対して賃借人は、賃貸人に対して賃料を支払う義務を負うところ、X社はYさんに対し、本件建物に居住させる義務を履行しているから、YさんのX社に対する賃料支払義務が消滅するとは認められないとして、Yさんの主張には認められないと判断しました。

気をつけたいポイント

ただし、裁判所は、X社の取締役であるDさんが、Yさんの事前の承諾を得ることなく、マスターキーを用いて本件建物の玄関内に入った行為は、Yさんに対する不法行為を構成するものと判断しています。
賃貸人は、民法606条1項に基づき、賃貸目的物の使用・収益に必要な修繕をする義務を負い、賃借人は、賃貸人が賃貸物の保存に必要な行為をしようとする場合、これを拒絶することができません(民法606条2項)。
本件は、隣の部屋における水漏れに端を発したものであり、賃貸人であるX社の修繕義務の履行であるようにも思えます。
しかし、当該物件が賃貸人の所有物であったとしても、賃貸借契約を締結し、これを引き渡した場合には、以後、賃借人が占有下におかれることになります。

そのため、状況からみて、居住者等の賃借人の予めの許可なく室内に立ち入る必要があるほどの緊急性は認め難い場合には、立ち入る場合には、やはり賃借人の事前の許可を得る必要があります。
仮に、賃貸人が、賃借人の事前の許可を得ずに無断で立ち入ってしまった場合には、本件のように不法行為に該当すると判断される恐れもあるため、注意しなければなりません。

弁護士にもご相談ください

賃貸借契約では、賃貸人・賃借人にそれぞれ履行すべき義務があります。
賃貸人または賃借人が賃貸借契約に基づく義務に違反した場合(債務不履行があった場合)、相手方は賃貸借契約を解除することができます。
しかし、賃貸借契約は、賃貸人と賃借人との間の信頼関係に基づき成立する契約であることから、仮に賃貸借契約上の義務に違反する事実があったとしても、未だ信頼関係を破壊するに至らない程度の不履行である場合には、解除が認められません(信頼関係破壊の法理)。
したがって、相手方が賃貸借契約に基づく義務の履行を怠っており、履行を求めたい場合や契約を解除したい場合には、どんな対応が取れるか、解除が可能か否かなどについて弁護士に相談することがおすすめです。