労働問題

受給資格前に企業年金の規約変更を争うことはできる?【MSD事件】

確定給付企業年金制度とは、「事業主が従業員と給付の内容をあらかじめ約束し、高齢期において従業員がその内容に基づいた給付を受けることができる」制度です。
DB(Defined Benefit Plan)や給付建て年金とも呼ばれています。
拠出から給付までの責任は全て事業主側にあり、仮に運用の結果が悪かった場合には、企業が不足分を穴埋めしなければなりません。

他方、確定拠出年金(DCDC:Defined Contribution Plan。掛金建て年金)は、掛金とその運用収益との合計額を基に給付額が決定される年金であり、積立期間中の運用の結果により、将来の給付額が変動する仕組みとなっています。運用のリスクは加入者個人が負うこととなります。企業型DCと、個人型年金のiDeCoがあります。

確定給付企業年金の実施方法には、「規約型確定給付企業年金」と「基金型確定給付企業年金」があります。
前者の「規約型確定給付企業年金」は、労使合意のうえで作成した規約について厚労大臣の承認を受けて実施するもので、事業主と信託会社等が契約を結び、母体の会社の外で年金資金を管理・運用して年金給付を行うものです。
これに対して、後者の「基金型確定給付企業年金」は、労使合意のうえで作成した規約について厚労大臣の認可を受け、母体の会社とは別の法人格を持つ企業年金基金を設立して実施するもので、基金で年金資金を管理・運用して年金給付を行うものです。

さて、今回は、そんな確定給付企業年金の規約変更の有効性をめぐり、従業員が会社を訴えた事件を紹介します。

MSD事件・東京地裁令和3.10.27判決

事案の概要

本件は、Y社の従業員であるXさんが、Y社の確定給付企業年金の統合について、統合後の規約はXさんに適用されないとして、Y社に対し、統合前の規約に基づく給付額の支払を受け得る地位にあることの確認を求めた事案です。

事実の経過

XさんとY社について

Y社は、旧A株式会社、旧B株式会社及び旧C株式会社の3社が統合して平成26年1月に発足した製薬会社でした。
他方、Xさん(昭和39年生まれ。令和6年1月22日に満60歳になる)は、平成2年にD株式会社に入社しましたが、平成11年4月1日にDが医療用新薬事業をCに営業譲渡したことに伴い、同日、Cに転籍し、さらに、前記3社の統合によりY社の従業員となりました。

確定給付企業年金の加入

Xさんは、従前、「Y1株式会社確定給付企業年金規約(旧C退職金制度適用者用)」(統合前規約)の加入者でした。
その後、本件統合により、平成26年1月1日に施行された「Y1株式会社確定給付企業年金規約」(統合後規約)の加入者となりました。

本件統合の経緯等

Y社は、平成25年10月31日付けで、厚生労働大臣に対し、統合前規約を含む3つの規約にかかる確定給付企業年金を統合後規約にかかる確定給付企業年金に統合する旨の、本件統合に関する統合承認の申請をしました。
厚生労働大臣は、平成26年1月1日、本件統合を承認し、統合後規約は、平成26年1月1日に施行されました。

規約の内容等

統合前規約の内容

本件統合前の統合前規約(平成24年1月1日施行)には、次のような規定がありました。

統合後規約

本件統合後の統合後規約には、次のような規定がありました。

訴えの提起

その後、Xさんは、
・Y社の確定給付企業年金の統合に関する平成25年10月31日付けの厚生労働大臣の承認は無効であり、
・本件統合に対するXさんの同意は労働者の自由な意思に基づいてされたものではなく無効であり、
・本件統合による規約変更は合理的理由を欠く就業規則の不利益変更であるから、本件統合後の規約はXさんに適用されない
として、Y社に対し、本件統合前の規約に基づく給付額の支払を受け得る地位にあることの確認を求める訴えを提起しました。

争点

本件では、Xさんが、本件訴えを提起する資格があるか否か(確認の利益の有無)が争点となりました。

本判決の要旨

確認の利益とは

確認の利益は、Xさんの権利又はその法律的地位に現に危険、不安が存在し、その危険、不安を除去するためにXY社間で当該確認の対象たる権利又は法律関係の存否について判決することが必要かつ適切である場合に限り、認められるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和27年(オ)第683号同30年12月26日第三小法廷判決参照)。

本件の検討

これを本件についてみるに、前記前提事実によれば、統合前規約及び統合後規約のいずれにおいても、老齢給付金の支給については、加入者が60歳に達したことが要件とされ(統合前規約第19条、統合後規約第20条)、脱退一時金の支給については、Y社を退職し、加入者の資格を喪失したことが要件とされているから(統合前規約第23条・第3条、統合後規約第25条・第3条)、前記前提事実のとおり、本件口頭弁論終結時において57歳であり、Y社に在職中であるXさんには、老齢給付金及び脱退一時金の受給権は未だ発生していない。なお、遺族給付金については、そもそも加入者自身が受給権者となるものではない(統合前規約第27条、統合後規約第30条)。

そうすると、Xさんが確認を求めているのは、詰まるところ、将来、これらの要件を満たした時点での受給権の有無であるから、将来の権利又は法律関係の存否について確認を求めるものにほかならず、特段の事情のない限り、確認の利益は認められ得ない。
また、仮にこれを前記受給要件を満たすことを停止条件とする現在の条件付き受給権の確認を求めるものと理解したとしても、Xさんが前記受給要件を満たすまでに更にY社により規約変更が行われる可能性があることを踏まえれば、Xさんの権利又はその法律的地位の危険、不安を除去するためにXY社間で当該権利又は法律関係の存否について判決することが必要かつ適切であるということはできず、やはり確認の利益は認められ得ない。

Xさんの主張について

Xさんの主張①

これに対し、Xさんは、法では、将来の給付を確実なものとするため、年金制度への加入期間に応じて発生しているとみなされる給付の金額をその時点で積み立てておく義務を定めていることから、本件請求は現時点の権利関係の確認を求めるものであり、確認の利益がある旨主張する。

そこで検討するに、(…)規定は、当該企業年金の財政の健全性を保持する趣旨に出たものと解されるところ、Y社の企業年金の財政状態の健全性が現実に失われている等の具体的な事情が認められない本件において、これらの規定の存在をもって、未だ受給要件を満たしていないXさんの権利又は法律的地位に現に危険、不安が存在しているものと認めることはできない。
よって、Xさんの上記主張は採用することができない。

Xさんの主張②

また、Xさんは、Y社による規約変更により、過去及び現時点においてXさんの権利、地位が不安、危険な状態となり、退職等の意思決定の機会の喪失や退職等に伴う利益を受ける機会の喪失の損害が発生しているから、確認の利益がある旨主張する。

しかし、Xさんとしては、前記受給要件を満たした時点で本件統合の有効性を争うことができること等を踏まえると、Xさんの指摘するところを考慮しても、Xさんの権利又はその法律的地位に現に危険、不安が存在し、その危険、不安を除去するためにXY社間で当該確認の対象たる権利又は法律関係の存否について判決することが必要かつ適切であるということはできないから、Xさんの上記主張は採用することができない

Xさんの主張③

さらに、Xさんは、確認を求めている権利関係の一部を将来の権利、法律関係と捉えた場合でも、権利、法律関係が不明確であることによる重大な経済的、社会的損害の除去等の確認の目的、及び、権利、法律関係の発生要件である一定の要件が満たされる一定程度の蓋然性があることを考慮すれば、現時点において確認の利益がある旨主張するが、以上に判示したところを踏まえると、Xさんの主張する上記のような事情を考慮しても、Xさんの権利又はその法律的地位に現に危険、不安が存在し、その危険、不安を除去するためにXY社間で当該確認の対象たる権利又は法律関係の存否について判決することが必要かつ適切であるということはできないから、Xさんの上記主張は採用することができない。

結論

その他、Xさんが主張するところを考慮しても、本件請求につき確認の利益を認めるべき事情は存在しない。
以上より、本件請求には確認の利益が認められない。

ポイント

本件は、Y社が、平成25年10月31日付けで、厚生労働大臣に対し、統合前規約を含む確定給付企業年金を統合後規約にかかる確定給付企業年金に統合する旨の統合承認申請をし、厚生労働大臣がこれを承認したところ、Y社の従業員であるXさんが、この承認は無効であるなどと主張し、Y社に対し、本件統合前の規約に基づく給付額の支払を受け得る地位にあることの確認を求めた事案でした。

本件では、そもそもXさんが本件訴えを提起する資格(確認の利益)があるか否か、すなわち、確定給付企業年金の統合前の規約に基づく給付額を受ける権利があるか否かが問題となりました。
この点について、本判決は、Y社の企業年金の財政状態の健全性が現実に失われているといった具体的な事情は認められず、そのような中では、いまだにY社の従業員であり、受給要件を充足していないXさんの権利または法律的地位に現に危険、不安が存在していると認めることはできないとして、確認の利益が認められないと判断しました。

弁護士にもご相談ください

冒頭でも述べたように確定給付企業年金は、厚労大臣の承認や認可を受ける必要があるほか、企業側の責任において運用を行うことが求められます。
本件では、Xさんが未だ受給要件を充足していなかったことなどを踏まえ確認の利益が否定されましたが、本判決では「受給要件を満たした時点で本件統合の有効性を争うことができること」なども示唆されており、確定給付企業年金の実施について何らかの手続上の瑕疵や実体的な瑕疵があった場合には、会社が後に従業員等からこれを争われる可能性もあります。
紛争を未然に防止するためには、規約変更などを行う場合には、顧問弁護士にも相談しながら、慎重に進めることがおすすめです。