熊本運輸事件判例解説【賃金総額が代わらない賃金の仕組み】
近年、タクシーやトラック等の運送業の長時間労働と賃金体系が問題視されています。
その一方で、人件費や燃料費の上昇等に伴い、物流費の高騰にも拍車がかかっています。
物流のコストアップを抑制する観点から、味の素やカゴメなど加工食品大手6社は、共同出資の物流会社と呉越同舟配送を拡大しているようです。
この6社の物流を担うF-LINEが導入する「中継リレー輸送」では、関東と中部を結ぶ長距離輸送のトラックについて、それぞれのエリアから出発したドライバーが静岡県内の中継地点で合流し、トラックを乗り換えてそのまま出発したエリアに戻るという輸送方式をとことにより、ドライバーが一度に往復する距離を実質的に半減させるとともに、積載率も向上させることができるとのことです。
このような各社の一つ一つの取り組みを通じて、ドライバーの負担軽減と深刻な物流逼迫の解消につながることが期待されます。
さて、そんな運送業に関して、ある種の“固定残業代制度”の採用が許されるか否かが争われた事件がありました。
熊本総合運輸事件 (最高裁令5. 3. 10判決)
事案の概要
Aさんは、平成24年2月頃、一般貨物自動車運送事業等を営むB社との間で雇用契約を締結し、平成29年12月25日までB社で勤務していました。
B社では、Aさんとの雇用契約締結当時、就業規則の定めにかかわらず、運行内容等に応じて賃金の総額を決定した後、その総額から定額の基本給と歩合給を差し引き、残額を時間外手当として支給する方法(旧給与体系)がとられていました。
その後、平成27年5月、B社は労働基準監督署からの時間管理指導を受けたことから、新しい就業規則を作成しました(平成27年就業規則)。
この平成27年就業規則では、
- 賃金は、基本給、諸手当、時間外労働割増賃金によって構成されること
- 基本給は、本人の経験や年齢、技能、職務遂行能力を考慮して各人別に決定されること
- 基本歩合給は、1日500円として、実出金した日数分を支給すること
- 勤務手当は、勤続年数に応じて200円~1000円を支給すること
- 残業手当、深夜割増手当、休日割増手当(以下「時間外手当」と総称)と調整手当により構成される割増賃金を支給すること
などが定められていました(新給与体系)。
この内、⑤の時間外手当は、基本給、基本歩合給、勤続手当等を通常の労働時間の賃金として、労働基準法37条等に定められた方法によって計算した額であり、調整手当は、割増賃金の総額(旧給与体系と同様の方法により業務内容等に応じて決定される月ごとの賃金総額から基本給等の合計額を差し引いたもの)から時間外手当の額を差し引いた額とされていました。
新給与体系の下、Aさんに支払われた賃金総額は、旧給与体系の下における賃金総額とほぼ変わりませんでしたが、基本給が増額される一方で、基本歩合給が大幅に減額され、新たに調整手当が導入されることになりました。
この新給与体系について、B社は、Aさんを含む従業員に対して一応の説明をしましたが、特に異論は出ませんでした。
Aさんの時間外労働等の状況は、平成27年12月から平成29年12月までの期間のうち、勤務日がほとんどなかった期間を除いた19か月を通じて、1か月あたり平均80時間弱であり、B社はAさんに対して、基本給として月額12万円、時間外手当として合計約170万円、調整手当として合計約203万円を支給していました。
その後、Aさんは、B社に対し、就労期間中に時間外割増賃金の不払いがあったと主張し、時間外労働、休日労働及び深夜労働に対する賃金等の支払いを求めて、訴えを提起したという事案です。
なお、令和3年8月6日、B社は、第一審判決が認容した賃金額のすべて(遅延損害金を含めて合計224万7013円)をAさんに対して支払いました。
争点
本件の争点は、時間外手当の支払いが労働基準法37条の割増賃金が支払われたものと認められるか否かです。
労働基準法37条
(時間外、休日及び深夜の割増賃金)
労働基準法(昭和二十二年法律第四十九号)
第三七条 使用者が、第三十三条又は前条第一項の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させた場合においては、その時間又はその日の労働については、通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の二割五分以上五割以下の範囲内でそれぞれ政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。ただし、当該延長して労働させた時間が一箇月について六十時間を超えた場合においては、その超えた時間の労働については、通常の労働時間の賃金の計算額の五割以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。
② 前項の政令は、労働者の福祉、時間外又は休日の労働の動向その他の事情を考慮して定めるものとする。
③ 使用者が、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定により、第一項ただし書の規定により割増賃金を支払うべき労働者に対して、当該割増賃金の支払に代えて、通常の労働時間の賃金が支払われる休暇(第三十九条の規定による有給休暇を除く。)を厚生労働省令で定めるところにより与えることを定めた場合において、当該労働者が当該休暇を取得したときは、当該労働者の同項ただし書に規定する時間を超えた時間の労働のうち当該取得した休暇に対応するものとして厚生労働省令で定める時間の労働については、同項ただし書の規定による割増賃金を支払うことを要しない。
④ 使用者が、午後十時から午前五時まで(厚生労働大臣が必要であると認める場合においては、その定める地域又は期間については午後十一時から午前六時まで)の間において労働させた場合においては、その時間の労働については、通常の労働時間の賃金の計算額の二割五分以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。
⑤ 第一項及び前項の割増賃金の基礎となる賃金には、家族手当、通勤手当その他厚生労働省令で定める賃金は算入しない。
原審判決のポイント
本件割増賃金のうち調整手当については、時間外労働等の時間数に応じて支給されていたものではないこと等から、その支払により労働基準法37条の割増賃金が支払われたということはできない。
他方、本件時間外手当については、平成27年就業規則の定めに基づき基本給とは別途支給され、金額の計算自体は可能である以上、通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の割増賃金に当たる部分とを判別することができる上、新給与体系の導入に当たり、B社から労働者に対し、本件時間外手当や本件割増賃金について一応の説明があったと考えられること等も考慮すると、時間外手当等の対価として支払われるものと認められるから、その支払いにより労働基準保37条の割増賃金が支払われたということができる。
したがって、控訴審は、第一審判決後のB社のAさんに対する支払いにより、賃金の未払いはなくなったと判断しました。
本判決の要旨
①判断基準
労働基準法37条は、同条等に定められた方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまり、使用者は、労働者に対し、雇用契約に基づき、上記方法以外の方法により算定された手当を時間外労働等に対する対価として支払うことにより、同条の割増賃金を支払うことができる。そして、使用者が労働者に対して同条の割増賃金を支払ったものといえるためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と同情の割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要である。
雇用契約において、ある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものといえるか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当等に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの諸般の事情を考慮して判断すべきである。
②時間外手当と調整手当の関係性
新給与体系の下においては、時間外労働等の有無やその多寡と直接関係なく決定される本件割増賃金の総額のうち、基本給等を通常の労働時間の賃金として労働基準法37条等に定められた方法により算定された額が本件時間外手当の額となり、その余の額が調整手当の額となるから、本件時間外手当と調整手当とは、前者の額が定まることにより当然に後者の額が定まるという関係にあり、両者が区別されていることについては、本件割増賃金の内訳として計算上区別された数値に、それぞれ名称が付されているという以上の意味を見出すことができない。
そうすると、本件時間外手当の支払いにより労働基準法37条の割増賃金が支払われたものといえるか否かを検討するに当たっては、本件時間外手当と調整手当から成る本件割増賃金が、全体として時間外労働等に対する対価として支払われるものとしているか否かを問題とすべきことになる。
③本件割増賃金が労働基準法37条の割増賃金の支払いに該当するか
B社は、労働基準監督署から適正な労働時間の管理を行うよう指導を受けたことを契機として新給与体系を導入するに当たり、賃金総額の算定については従前の取扱いを継続する一方で、旧給与体系の下において自身が通常の労働時間の賃金と位置付けていた基本歩合給の相当部分を新たに調整手当として支給するものとしたということができる。そうすると、旧給与体系の下においては、基本給及び基本歩合給のみが通常の労働時間の賃金であったとしても、Aさんに係る通常の労働時間の額は、新給与体系の下における基本給等及び調整手当の合計に相当する額と大きく変わらない水準、具体的には1時間当たり平気1300~1400円程度であったことがうかがわれる。
一方、調整手当の導入の結果、新給与体系の下においては、基本給等のみが通常の労働時間の賃金であり本件割増賃金は時間外労働等に対する対価として支払われるものと仮定すると、Aさんに係る労働時間の賃金の額は、1時間当たり平均約840円となり、旧給与体系の下における水準から大きく減少することになる。
また、Aさんについては、1か月あたりの時間外労働等が平均80時間弱であるところ、これを前提として算定される本件時間外手当をも上回る水準の調整手当が支払われていることからすれば、本件割増賃金が時間外労働等に対する対価として支払われるものと仮定すると、実際の勤務状況に照らして想定し難い程度の長時間の時間外労働等を見込んだ過大な割増賃金が支払われる賃金体系が導入されたこととなる。
新給与体系の導入に当たり、B社からAさんを含む労働者に対しては、基本給の増額や調整手当の導入等に関する一応の説明がされたにとどまり、基本歩合給の相当部分を調整手当として支給するものとされたことに伴い上記のような変化が生ずることについて、十分な説明がされたともうかがわれない。
以上によれば、新給与体系は、その実質において、時間外労働等の有無やその多寡と直接関係なく決定される賃金総額を超えて労働基準法37条の割増賃金が生じないようにすべく、旧給与体系の下においては通常の労働時間の賃金に当たる基本歩合給として支払われていた賃金の一部につき、名目のみを本件割増賃金に置き換えて支払うことを内容とする賃金体系であるというべきである。
そうすると、本件割増賃金は、その一部に時間外労働等に対する対価として支払われているものを含むとしても、通常の労働時間の賃金として支払われるべき部分を相当程度含んでいるものと解さざるを得ない。
そして、本件割増賃金のうちどの部分が時間外労働等に対する対価に当たるかが明確になっているという事情もうかがわれない以上、本件割増賃金につき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と労働基準法37条の割増賃金に当たる部分とを判別することはできないことになるから、B社のAさんに対する本件割増賃金の支払いにより、同条の割増賃金が支払われたものということはできない。
④結論
B社のAさんに対する本件時間外手当の支払により労働基準法37条の割増賃金が支払われたものとして原審の判断には、割増賃金に関する法令の解釈適用を誤った違法がある。
よって、Aさんに支払われるべき賃金の額、付加金の支払いを命ずることの当否及びその額等について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すと判断しました。
解説
本件では、第一審及び第二審が、本件時間外手当と調整手当とを区別した上で、本件時間外手当は労働基準法37条の割増賃金の支払いにあたると判断していました。
他方で、最高裁は、本件時間外手当と調整手当は全体として本件割増賃金を構成するものにすぎず、本件割増賃金には対価性が認められないため、労働基準法37条の割増賃金の支払いに当たらないと判断しました。
運送業では特に労働時間が長時間になる傾向が強い一方、売上が時間に応じて入るわけではないため、会社としてはコストの固定化を図りたいというニーズが非常に強くなり、固定給与制を実現したいという狙いがあると考えれます。
もっとも、本判決や国際自動車事件判決(最一小判令和2年3月30日)に照らして考えると、時間外・深夜労働等を行っても賃金総額が変わらない仕組みというのは、割増賃金制度を設けた労働基準法37条の趣旨に反することになるため、事実上、その手法はかなり限定されたといえます。
非生産的な時間外労働の発生を抑止するためには、オペレーションそのものの見直しや、ノー残業デーの推進、裁量労働制の導入などが必要となってくるのかもしれません。