採用選考過程は開示しなければいけないか?【学校法人早稲田大学(公募)事件】【判例解説】
令和6(2024)年3月1日から令和7(2025)年度大学等卒業・修了予定者向けの新卒採用活動が始まりました。
人手不足に悩む多くの企業では、一人でも多くの人財を自社に取り込もうと、さまざまな手法で広報活動を行っています。
6月1日からは採用選考活動も開始されることから、面接審査やグループディスカッションの審査など実施に向けて、ますます競争も激しくなっていくと考えられます。
最近では、昨今の売り手市場の状況を背景に、エントリーさえしてくれれば面接を行うというスタイルの採用活動を行う企業もあるようですが、一般的には、提出書類による一次審査を行い、書類審査を通過できた人だけが、面接などの二次審査に進み、その後、役員面接などを経て、内々定、内定へと進むスタイルが採られています。
この場合、残念ながら書類審査によって不合格となるエントリー者も出てきてしまうところですが、書類審査の段階で不合格にする場合、企業側からその理由が説明されることはほとんどありません。
他方で、不合格の通知を受けたエントリー者は、書類記載の何が悪かったんだろう…と落ち込んでしまうこともあります。
では、企業は、説明を求められたときに、書類審査が不合格となった理由を開示しなければならないのでしょうか。
今回は、採用選考過程における情報開示義務が争われた事件を取り上げます。
学校法人早稲田大学(公募)事件・東京地裁令和4.5.12判決
事案の概要
本件は、A大学大学院A科が行った選任教員の公募に応募し、書類審査の段階で不合格になったA大学非常勤講師 Bさんが、A大学に対して、A大学がBさんに対して本件公募の採用過程や応募者がどのように評価されたかについて情報を開示し、説明する義務があったにもかかわらず、A大学がこれらの情報を開示しなかったことにより、Bさんの社会的名誉が侵害されたなどと主張し、不法行為に基づく損害賠償を求めた事案です。
事実の経過
A大学による公募
A大学は、平成28年1月19日、同大学のHP上に「A大学大学院A科専任教員(嘱託時期:2017年4月または9月)募集のお知らせ(応募締切4/19)」という題名の記事を掲載して、A科の専任教員(募集領域:現代N国の政治と国際関係、採用後の身分:教授又は准教授)1名の募集を公開し、応募者を募りました(本件公募)。
本件公募は、A科が予め定めたルール(研究科専任教員採用人事内規)に則って、応募者から自薦書、履歴書、教育研究業績リスト等を提出してもらい、書類審査に合格した者を対象として、面接審査及び模擬授業を行う方法が採られていました。
Bさんの応募
A大学非常勤講師Bさんは、平成28年4月15日、本件公募に応じ、A大学大学院A科に対して応募書類を提出しました。
もっとも、A大学大学院A科は、同年6月13日、Bさんに対し、メールにより、本件公募の書類審査結果について、Bさんの採用を見送ることになった旨の通知をしました。
これにより、Bさんは、書類審査の段階で候補者から選抜されず、不合格となり、面接審査に進むことはありませんでした。
どうして書類で落とされたんだろう。私以上に適任者はいないはずなのに
Bさんによる情報開示等の請求
Bさんは、自らが本件公募における採用条件を満たす数少ない研究者の一人であると考えていたところ、それにもかかわらず、書類審査の段階で不合格とされたことから、選考過程の公正さに疑念を抱き、本件公募の対象となったポストの前任者が選考過程に関与したのではないかと疑いました。
そこで、Bさんは、本件公募の当時、A大学大学院A科の研究科長であったG氏に対して、書簡及びメールで、Bさんの応募が選考過程でどのように審査されたのかなどの情報開示を求めましたが、その後新しく同研究科長に就任したH氏は、選考過程及び結果についての情報を開示することはできない旨回答しました。
選考基準を明らかにしてください!
それはできません
また、Bさんは、A大学の常任理事に対して、応募が厳正に審査されたか否かや選考過程を精査することなどを求める書簡を送りましたが、同理事は、本件公募については研究科運営委員会の定めた手続により厳正なる審査が行われ、議決を経て教員の採用を決定していること、個別の選考過程について、これ以上の詳細を開示することはできないことを回答しました。
さらに、Bさんは、A大学の教務担当理事に対して、本件公募における採用条件との関連における採用人事の具体的審査・選考過程についての情報開示などを求める書簡を送りましたが、A大学はこれに回答しませんでした。
C組合とA大学との団体交渉
C組合は、A大学に対し、平成30年11月22日付の通知書により、C組合A大学支部を結成したことを通知するとともに、本件公募の選考過程に関する事項について、団体交渉に応じることを求めましたが、A大学はこれに応じる義務はないとして団体交渉を拒否しました。
C組合は、平成31年3月5日、令和元年5月10日付申入書によって、本件公募の選考過程に関する事項について、団体交渉に応じることや書面による回答を求めましたが、A大学はこれに応じる義務はないとして団体交渉や回答を拒否しました。
訴えの提起
その後、Bさんは、本件公募の採用過程の手続経過及びBさんが書類選考から採用面接に至らなかった根拠に関する情報の開示を求めたのに対して、A大学が本件公募の応募者に対して本件公募の採用選考過程や応募者がどのように評価されたかについて情報を開示し説明する義務に違反してこれらの開示を拒否し続け、これによってBさんの透明・公正な採用選考に対する期待権及び社会的名誉を侵害したと主張して、A大学に対して、不法行為に基づく慰謝料等の支払いを求める訴えを提起しました。
争点
本件では、主に、A大学が、本件公募の応募者であるBさんに対し、本件公募の採用選考過程やBさんがどのように評価されたかに関する情報を開示し、説明する義務があったか否かが争点となりました。
本判決の要旨
①労働契約締結過程における信義則上の義務としてA大学に情報開示等の義務があったといえるか否か
本件公募は、A科の研究科専任教員採用人事内規に則り、
- 応募者から自薦書、履歴書、教育研究業績リスト等を提出してもらい、
- 審査委員会において、応募者の中から採用条件を充たしている者を選び出した上で、その中から、募集分野と応募者の研究分野の適合、研究の質的水準、授業遂行の能力と意欲、研究科業務への適性、人格見識などについて精査して、原則として複数の候補者を選抜し、当該候補者を対象として面接審査及び模擬授業を行って採用予定者を1名に絞り込み、
- 人事研究科運営委員会において当該採用予定者の採否を決定し、
- A大学において、人事研究科運営委員会が承認した採用予定者との間で労働契約を締結することが予定されていた
ことが認められる。
Bさんは、本件公募に応募したが、書類選考の段階で不合格になったものであり、BさんとA大学との間で、Bさんを専任教員として雇用することについての契約交渉が具体的に開始され、交渉が進展し、契約内容が具体化されるなど、契約締結段階に至ったとは認められないから、契約締結過程において信義則が適用される基礎を欠くというべきである。
A大学とBさんとのあいだで契約締結段階に至ったとは言えないので、信義則が適用となる基礎がありませんね。
したがって、Bさんが本件公募に応募したというだけで、信義則に基づき、A大学に本件情報開示・説明義務が発生するというに等しいBさんの主張は認められない。
②公募による公正な選考手続の特殊性に基づく義務としてA大学に情報開示等の義務があったといえるか否か
大学教員の採用を公募により行う場合、その選考過程は公平・公正であることが求められており、応募者の基本的人権を侵害するようなものであってはならないということはできる。
しかしながら、Bさんは、A大学との間で契約締結段階に至ったとは認められず、契約締結過程において信義則が適用される基礎を欠くことは上記のとおりであり、このことは、選考方式が公募制であったことによって左右されるものではない。
したがって、仮に、Bさんが本件公募について透明・公正な採用選考が行われるものと期待していたとしても、その期待は抽象的な期待にとどまり、未だ法的保護に値するとはいえず、A大学が専任教員の選考方式として公募制を採用したことから、直ちに本件情報開示・説明義務が発生する法的根拠は見出し難い。
公正な採用選考の期待は、法的保護に値するとまでは言えませんね。
したがって、公募による公正な選考手続の特殊性に基づく義務としてA大学に情報開示等の義務があったともいえない。
③個人情報の適正管理に関する義務としてA大学に情報開示等の義務があったといえるか否か
➣職業安定法が情報開示・説明義務の根拠となるか
職業安定法5条の4は、労働者の募集を行う者に対し、その業務に関し、募集に応じて求職者等の個人情報を収集し、保管し、又は使用するに当たっては、その業務の目的の達成に必要な範囲内で求職者等の個人情報を収集し、並びに当該収集の目的の範囲内でこれを保管し、及び使用することを義務付けているが、求職者等に対する個人情報の開示に関しては、何ら規定していない。
(求人等に関する情報の的確な表示)
職業安定法
第五条の四 公共職業安定所、特定地方公共団体及び職業紹介事業者、労働者の募集を行う者及び募集受託者、募集情報等提供事業を行う者並びに労働者供給事業者は、この法律に基づく業務に関して新聞、雑誌その他の刊行物に掲載する広告、文書の掲出又は頒布その他厚生労働省令で定める方法(以下この条において「広告等」という。)により求人若しくは労働者の募集に関する情報又は求職者若しくは労働者になろうとする者に関する情報その他厚生労働省令で定める情報(第三項において「求人等に関する情報」という。)を提供するときは、当該情報について虚偽の表示又は誤解を生じさせる表示をしてはならない。
② 労働者の募集を行う者及び募集受託者は、この法律に基づく業務に関して広告等により労働者の募集に関する情報その他厚生労働省令で定める情報を提供するときは、正確かつ最新の内容に保たなければならない。
③ 公共職業安定所、特定地方公共団体及び職業紹介事業者、募集情報等提供事業を行う者並びに労働者供給事業者は、この法律に基づく業務に関して広告等により求人等に関する情報を提供するときは、厚生労働省令で定めるところにより正確かつ最新の内容に保つための措置を講じなければならない。
したがって、職業安定法5条の4は、本件情報開示・説明義務の法的根拠とはなり得ないというべきである。
職業安定法5条の4は、本件情報開示・説明義務の法的根拠とはなりえませんね
➣個人情報保護法が情報開示・説明義務の根拠となるか
個人情報保護法に定める個人データとは
個人情報保護法28条2項(現33条2項)は、個人情報取扱事業者は、本人から、当該本人が識別される保有個人データの開示を求められたときには、遅滞なくこれを開示しなければならないと定めるとともに、同項2号において、個人情報取扱事業者が開示義務を負わない例外として、「当該個人情報取扱事業者の業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがある場合」を挙げている。
(開示)
個人情報の保護に関する法律
第三十三条 本人は、個人情報取扱事業者に対し、当該本人が識別される保有個人データの電磁的記録の提供による方法その他の個人情報保護委員会規則で定める方法による開示を請求することができる。
2 個人情報取扱事業者は、前項の規定による請求を受けたときは、本人に対し、同項の規定により当該本人が請求した方法(当該方法による開示に多額の費用を要する場合その他の当該方法による開示が困難である場合にあっては、書面の交付による方法)により、遅滞なく、当該保有個人データを開示しなければならない。ただし、開示することにより次の各号のいずれかに該当する場合は、その全部又は一部を開示しないことができる。
一 本人又は第三者の生命、身体、財産その他の権利利益を害するおそれがある場合
二 当該個人情報取扱事業者の業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがある場合
三 他の法令に違反することとなる場合
3 個人情報取扱事業者は、第一項の規定による請求に係る保有個人データの全部若しくは一部について開示しない旨の決定をしたとき、当該保有個人データが存在しないとき、又は同項の規定により本人が請求した方法による開示が困難であるときは、本人に対し、遅滞なく、その旨を通知しなければならない。
4 他の法令の規定により、本人に対し第二項本文に規定する方法に相当する方法により当該本人が識別される保有個人データの全部又は一部を開示することとされている場合には、当該全部又は一部の保有個人データについては、第一項及び第二項の規定は、適用しない。
5 第一項から第三項までの規定は、当該本人が識別される個人データに係る第二十九条第一項及び第三十条第三項の記録(その存否が明らかになることにより公益その他の利益が害されるものとして政令で定めるものを除く。第三十七条第二項において「第三者提供記録」という。)について準用する。
そして、個人情報保護法における個人データとは、個人情報データベース等を構成する個人情報をいい(現個人情報保護法16条3項)、個人情報データベース等とは、個人情報を含む情報の集合物であって、特定の個人情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したもの、又は、特定の個人情報を容易に検索することができるように体系的に構成したものとして政令で定めるものをいう(同条1項)。
(定義)
個人情報の保護関する法律
第十六条 この章及び第八章において「個人情報データベース等」とは、個人情報を含む情報の集合物であって、次に掲げるもの(利用方法からみて個人の権利利益を害するおそれが少ないものとして政令で定めるものを除く。)をいう。
一 特定の個人情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したもの
二 前号に掲げるもののほか、特定の個人情報を容易に検索することができるように体系的に構成したものとして政令で定めるもの
2 この章及び第六章から第八章までにおいて「個人情報取扱事業者」とは、個人情報データベース等を事業の用に供している者をいう。ただし、次に掲げる者を除く。
一 国の機関
二 地方公共団体
三 独立行政法人等
四 地方独立行政法人
3 この章において「個人データ」とは、個人情報データベース等を構成する個人情報をいう。
4 この章において「保有個人データ」とは、個人情報取扱事業者が、開示、内容の訂正、追加又は削除、利用の停止、消去及び第三者への提供の停止を行うことのできる権限を有する個人データであって、その存否が明らかになることにより公益その他の利益が害されるものとして政令で定めるもの以外のものをいう。
5 この章、第六章及び第七章において「仮名加工情報取扱事業者」とは、仮名加工情報を含む情報の集合物であって、特定の仮名加工情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したものその他特定の仮名加工情報を容易に検索することができるように体系的に構成したものとして政令で定めるもの(第四十一条第一項において「仮名加工情報データベース等」という。)を事業の用に供している者をいう。ただし、第二項各号に掲げる者を除く。
6 この章、第六章及び第七章において「匿名加工情報取扱事業者」とは、匿名加工情報を含む情報の集合物であって、特定の匿名加工情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したものその他特定の匿名加工情報を容易に検索することができるように体系的に構成したものとして政令で定めるもの(第四十三条第一項において「匿名加工情報データベース等」という。)を事業の用に供している者をいう。ただし、第二項各号に掲げる者を除く。
7 この章、第六章及び第七章において「個人関連情報取扱事業者」とは、個人関連情報を含む情報の集合物であって、特定の個人関連情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したものその他特定の個人関連情報を容易に検索することができるように体系的に構成したものとして政令で定めるもの(第三十一条第一項において「個人関連情報データベース等」という。)を事業の用に供している者をいう。ただし、第二項各号に掲げる者を除く。
8 この章において「学術研究機関等」とは、大学その他の学術研究を目的とする機関若しくは団体又はそれらに属する者をいう。
個人情報・個人データの該当性
BさんがA大学に対して開示を求めたとする情報についてみると、各情報のうちBさんに言及がない部分がBさんの個人情報に当たらないことは、明らかである。
また、その他の情報のうちBさんに言及する部分は、Bさんを識別可能であることからBさんの個人情報に該当するものがあるとしても、本件全証拠及び弁論の全趣旨によっても、これらの情報が個人情報データベース等を構成していることをうかがわせる事情は何ら認められないから、個人情報保護法28条2項に基づく開示の対象となる保有個人データであるとは認められない。
(開示)
個人情報の保護関する法律
第三十三条 本人は、個人情報取扱事業者に対し、当該本人が識別される保有個人データの電磁的記録の提供による方法その他の個人情報保護委員会規則で定める方法による開示を請求することができる。
2 個人情報取扱事業者は、前項の規定による請求を受けたときは、本人に対し、同項の規定により当該本人が請求した方法(当該方法による開示に多額の費用を要する場合その他の当該方法による開示が困難である場合にあっては、書面の交付による方法)により、遅滞なく、当該保有個人データを開示しなければならない。ただし、開示することにより次の各号のいずれかに該当する場合は、その全部又は一部を開示しないことができる。
一 本人又は第三者の生命、身体、財産その他の権利利益を害するおそれがある場合
二 当該個人情報取扱事業者の業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがある場合
三 他の法令に違反することとなる場合
3 個人情報取扱事業者は、第一項の規定による請求に係る保有個人データの全部若しくは一部について開示しない旨の決定をしたとき、当該保有個人データが存在しないとき、又は同項の規定により本人が請求した方法による開示が困難であるときは、本人に対し、遅滞なく、その旨を通知しなければならない。
4 他の法令の規定により、本人に対し第二項本文に規定する方法に相当する方法により当該本人が識別される保有個人データの全部又は一部を開示することとされている場合には、当該全部又は一部の保有個人データについては、第一項及び第二項の規定は、適用しない。
5 第一項から第三項までの規定は、当該本人が識別される個人データに係る第二十九条第一項及び第三十条第三項の記録(その存否が明らかになることにより公益その他の利益が害されるものとして政令で定めるものを除く。第三十七条第二項において「第三者提供記録」という。)について準用する。
開示義務を負わない例外の該当性
さらに、仮に、各情報のうちBさんに言及する部分が保有個人データに当たるとしても、これらの情報を開示することは、個人情報保護法28条2項2号に該当するというべきである。すなわち、A大学は、採用の自由を有しており、どのような者を雇い入れるか、どのような条件でこれを雇用するかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるところ、大学教員の採用選考に係る審査方法や審査内容を後に開示しなければならないとなると、選考過程における自由な議論を委縮させ、A大学の採用の自由を損ない、A大学の業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがあるからである。
したがって、A大学は、個人情報保護法28条2項2号により、これらの情報を開示しないことができる。
厚労省の指針との関係
なお、厚生労働省政策統括官付労働政策担当参事官室の平成17年3月付け「雇用管理に関する個人情報の適正な取扱いを確保するために事業者が講ずべき措置に関する指針(解説)」は、「業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがある場合」に該当するとして非開示とすることが想定される保有個人データの開示については、あらかじめ、必要に応じて労働組合等と協議の上、その内容につき明確にしておくよう努めなければならないとしていたが、これは、あくまでも努力義務を定めたものであって、上記協議をしていないからといって、使用者が、「業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがある場合」に該当する保有個人データを非開示とすることができなくなるわけではない。
➣小括
以上によれば、職業安定法5条の4及び個人情報保護法は、いずれも、本件情報開示・説明義務の法的根拠にはなり得ないというべきである。
Bさんの情報開示請求も説明義務も法的根拠はありませんね
結論
以上のとおり、A大学には、本件公募の応募者に対する本件情報・開示義務があるとは認められないから、Bさんに対しても本件公募の採用選考過程やBさんがどのように評価されたかに関する情報を開示し、説明する義務があったとは認められない。
よって、Bさんの請求には理由がないと判断されました。
解説
本件のポイント
➣ポイント①交渉の段階によっては、信義則上の義務違反が認められ得ること
本件において、Bさんは、A大学が労働契約締結過程における信義則上の義務として、Bさんに対して情報開示等を行う義務があったと主張していました。
本来、契約は、これが締結されることによって、両当事者は拘束されることになりますが、何人も契約をするかどうかは自由に決定することができるため(契約締結の自由)、契約を締結する前の準備交渉段階においては、当事者が契約に拘束されるという事態は生じません。
もっとも、契約準備交渉段階に入った当事者間の関係性は、特別の取引的接触関係にあるため、互いに損害を被らせないようにする信義則上の義務があるといわれています。
そのため、契約の準備交渉段階における当事者の言動等によって相手方の権利利益が害された場合には、自らの言動等について責めに帰すべき事由がある一方当事者は、これによって相手方に生じた損害を賠償する責任を負うことになります。
このような契約締結上の過失が問題となるケースとしては、当事者の一方が契約交渉を不当に破棄した場合や、契約交渉過程における相手方への説明義務に違反した場合などが挙げられます。
本件について、裁判所は、Bさんは、本件公募の書類選考段階で不合格になっており、BさんとA大学との間で、Bさんを専任教員として雇用することについての契約交渉が具体的に開始され、交渉が進展し、契約内容が具体化されるなど、契約締結段階に至ったとは認められないことを理由に、契約締結過程における信義則が適用される場面ではないと判断しています。
もっとも、かかる裁判所の判断とパラレルに考えれば、採用過程であっても、「雇用契約に関する契約交渉が具体的に開始され、交渉が進展し、契約内容が具体化される」などしていた場合には、かかる信義則上の義務が生じる可能性もあるということです。
契約に関する交渉がどの程度まで習熟していたかがポイントになります
したがって、まだ雇用契約が成立していなければ一方的に交渉を破棄したとしても、賠償義務を負うことはないなどと安易に考えないように気を付けなければなりません。
➣ポイント②個人データの開示請求を受けたとしても不開示での対応を図ることができること
採用過程においては、応募者の適正試験や筆記試験などの個人データを取得する場合も考えられるところです。
個人情報保護法第33条2項は、
(開示)
個人情報の保護関する法律
第三十三条
2 個人情報取扱事業者は、前項の規定による請求を受けたときは、本人に対し、同項の規定により当該本人が請求した方法(当該方法による開示に多額の費用を要する場合その他の当該方法による開示が困難である場合にあっては、書面の交付による方法)により、遅滞なく、当該保有個人データを開示しなければならない。ただし、開示することにより次の各号のいずれかに該当する場合は、その全部又は一部を開示しないことができる。
一 本人又は第三者の生命、身体、財産その他の権利利益を害するおそれがある場合
二 当該個人情報取扱事業者の業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがある場合
三 略
と定めており、本人が個人データの開示を請求した場合、個人情報取扱事業者は原則としてこれに応じなければなりません。
もっとも、「業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがある場合」などにおいては、例外的に開示請求に応じないことが許されています。
本件において、裁判所は、そもそもBさんに言及する部分が保有個人データには当たらないと判断しつつも、仮に個人データに該当するとしても、A大学には、採用の自由があり、採用選考に係る審査方法や審査内容を後に開示しなければならないとなると、選考過程における自由な議論を委縮させ、A大学の採用の自由を損ない、A大学の業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがあることから、例外的に開示請求に応じないことが許される場合に当たると判断しています。
開示請求に応じるかどうかは、「業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれ」がどの程度認められるか、裁判所に説明できるか、がポイントになります
したがって、仮に採用過程において、応募者が会社側に対して、採用過程における個人データの開示を請求してきたとしても、個人情報保護法第33条2項2号の規定に基づき、不開示の対応をとることも可能であると考えられます。
弁護士にご相談を
採用活動の場面では、採用選考過程から内定、入社に至るまで、さまざまなリスクや課題などが潜んでいます。
個人情報に関する問題一つとっても、採用過程では、多くの応募者から個人情報、個人データを取得することになるため、それぞれの情報が外部に漏洩しないようにするための措置を講ずる必要があるだけでなく、採用担当者等もこれらの情報に触れることになるため、個人情報の取り扱いに関する周知・徹底を図る必要があります。
さらには、事業者は個人情報の取り扱いに関する苦情処理体制を整備する努力義務も負っていることから、社内の苦情担当窓口やルールの整備等も行っておかなければなりません。
このほかにも、本件のBさんのように採用過程や結果に対して疑問を持つ人や内定通知書は出したものの何ら応答がなくなってしまう人、入社式に現れない人など、採用過程における問題はあれこれ起きてきます。
令和7年度新卒採用に向けて、さまざまな採用活動を行う中でお悩みが生じた場合には、本件のA大学とBさんのような紛争を未然に防止するためにも、ぜひお気軽に弁護士にご相談ください。